考える事を止めた時
お酒に酔った勢いで書き連ねていきますが、正直ネガティブで結論の無い駄文でございますし、自分の中でもまとまっていない事であります。ただ吐き出したいという勢いと欲求のような、場合によっては誰も得をしないものになりそうです。
詳細は省きますが、最近私は怪我で半年ぐらい入院しておりました。その時は自分の将来が不安になり「未来もクソもあったもんじゃねぇや」と悶々としておりました。そこへ誰もが「先の事より今の治療に専念なさい」といった具合で声をかけてくださって大変救われた思いをしたものです。
しかし自分の性格上、「ああ、考えなくて良いんだな。お医者さんに任せよう」となってしまい、主治医の先生やリハビリの先生の仰る事を淡々をこなす事になってしまいました。おかげ様で一時期動かなくなった足や手は自由に動かせるようになりましたが、どうも頭の働きが鈍くなっているなと入院中に感じたのであります。さんすうドリルでも病室でやっておけば良かった。
入院中もTwitterにポストを重ねておりましたが、もともと無かった語彙力が更に低下し、ちいとも緊張感やキレのないポストを繰り返していたような気がいたします。それが今に至るわけでございます。noteを始めたきっかけもそういったような誰の為でもなく自分の為にすぎないのです。
どっちみち将来なんてのは今考えても仕方ないというのは救急車に乗せられて病院にブチ込まれている最中、すでに察していたりして「これからどうすんだろうなぁ」と他人事のように考えていたりもしましたし、その時点で頭を使うのを止めてしまったのかもしれませんね。知人やお医者さんの言葉に背中を押された感じがありますよ。別に全然恨んだりする事はないですから安心していただきたいものです。
痛感させられたのがツイッチでゲーム配信している時に気の利いた言葉がすぐ出てこないだとか、こういったテキストを叩き込んでいる時、流れを止める言葉選びをする為の思考力。その低下だと思いました。昔はもう少し早かったような気がいたします。そこがとても落ち込む要素で、ひたすらに文章を考え打ち込む事が為になるのかとか、そんな余計な事も思う始末。
実際良い頭の体操になっておりますし、ゲームという文章を書くきっかけは非常に大きいと感じるものであります。自分からゲームを取り上げたらこんなテキストだらけになって不快極まりない怪文書を連稿する頭のおかしい人と思われてしまうかもしれませんね。そうはなりたくないですが、もうなっているかもしれません。
頭を使うというのは本当に大事なんだなって。創作的な事の応用もままならず、ただただ垂れ流すだけのもので大変嘆かわしい次第でございます。もう少しマシな事が書けるよう考えて努力したいと存じます。