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100万人の信長の野望 回想録(現在進行形)*不定期更新47

あれ?

前回の最後の方に書きましたが、ある時期に少数精鋭の一門が出来ました。その領主達を見ると、あれ?yくん?

そう、yくんは私やクスベさんがゲーム初期に所属した義卍愛一門の同門で、私が義卍愛一門を離脱後も、一門に残り主力として活動していた。

その後、はな組設立する前か直後か忘れたが、yくんと一時期一緒に行動した。

その当時も、やる気満々でずっと我々と一緒に行動すると、私は思っていたが、我々から離れて行った。

以前にも書いたが、はな組設立当初は、一日1000勝が最低限必達で周囲から相手にされなかったが、その状況の中でyくんは参加して強くなろうとしていた。

その頃の私は、戸塚ヨットスクールもどきのスパルタで、数人強くなろうとして、接して来た領主が居たが、殆ど残らずyくんは数少ない残った一人だった。よく、はな太朗ヨットスクールと言っていた(チョカベ所属なら旗が船(^_-)-☆)

一門と所属領主

はな組もそうだが、有力一門や有名一門に所属する領主達の殆どが、癖が強い領主達が自然と集まるのが100万人の信長の野望あるあるだろう。

yくんの所属する少数精鋭の一門領主達を見ると、中々の癖者揃い!はな組に引けを取らない面子が揃っていた。

我々はな組も、新たな少数精鋭の一門が出来た事は、とても良い刺激になったと同時に、世代交代も遅なかれ訪れる事も感じたのも、この頃であった。

転戦の理由

そんな中以前にも書いたが、はな組は徐々に打倒武田家を掲げながら、第7期以降全国各地へと転戦する事が増えて行った。

転戦と言えば聞こえが良いが、要は傭兵集団であった。それと同時に、全国各地で、来るべき対武田家の戦力増強として友好大名・友好一門や領主を増やす事が実は裏目的だった。

しかし実際には、我々はな組にお声がかかるのは、戦力不足の大名が多く、行けば攻城値ランキングほぼ1位か2位になり、突出した攻城値を出した所で他の一門との数値がかけ離れる大名が殆どで、結末の殆どは完全滅亡であった、おかげで滅亡実績は早い段階でMAX迄行ってしまった(;^ω^)

全国各地へ転戦する事で、楽しくも有ったのは事実で、常に関東甲信越で戦っていた我々はな組(特に私)は、行く先々でゲームの歴史観に触れる事になり、大なり小なり我々と同じような活動(俗に云うガー)している一門が存在し、彼らの考えが痛い程分かる私は勝手に共感していた。

特に九州四国地方に行くと、西の島津東の武田と云ったとか云わないとか?その中で、対島津家に燃えている一門の当主の方には、一度何時かゆっくり話をしてみたい。(お互い何故そうなったかの経緯等)

実際には少しの交流は有ったと思う程度で、殆どゲーム内では関わらず交わらなったので、いろいろ話を聞いてみたい。これは何時かの楽しみの一つです。

しかし、世の中上手く行かないのは、ゲームも一緒ですな(◞‸◟)

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尿酸値=旨味だ!これにカキが有ったらと思うと(^^♪

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