再会
本当の意味での再会はなん年振りになるだろうか。
ずっと避けていた存在とちゃんと向き合うことを決めた。
SAXは、私の命だった。大袈裟でもなんでもなく私の心臓だった。
その存在によって私はもう1人の自分を生み出していたのかもしれない。
楽器を持つと私は無敵になれた。何も怖くなかった。
今思えば、その場に自分の世界を展開させることができていた。
音の波が私の波とぴったりと合っていたからかもしれない。
プロのSAX PLAYERになる。
私はその夢の為土壇場で進路変更をし、浪人して音大に行くことをセンター試験前に決断した。
本当になりたい自分に蓋をして、私は生物教師になる為の受験勉強をしていた。
だけどセンター前の冬休み、中学からの親友に泊まりに行った時ある質問をされた。
友人「もしさ、なーんにでもなれるとしてやで、あんた何になりたい?」
私はその時、「教師」と即答できなかった。
私「え?何にでもなれるん?」
友人「そう。なんにでもなれる。」
私「………。」
友人「なんで?なんですぐ先生!って言われへんの!?
それって、ほんまになりたいものじゃないからじゃないん?」
図星だった。
友人は気づいていたのだ。
私が本当になりたいものに、音楽と向き合うことに蓋をしていたことを。
私は、
「プロになりたい」
絞り出すようにそう答えた。
友人「じゃあなんでそれになろうとせーへんの?」
その通りだ。
私はなぜ本当になりたいものから逃げて別の道に進もうとしていたのだろう。
彼女の言葉は私の心に火をつけてくれた。
生物学部に行くための勉強をしていなかったから、私は急遽冬休み明けに担任に進路変更し、浪人して音大を受けることを伝えた。
相談したのではない。私の意思は堅かった。
職員室中騒然になっていた。
だけど私はもう決心していた。
周りが、私は音楽の道に進むのだと当然のように思っていたようで、
「そう言うと思ってた。」
と声をかけてくれた友人もいた。
音楽理論やソルフェージュ、ピアノの練習などしていなかったので、1年間はSAXとピアノのレッスン。楽典の勉強。一番苦手だったのが、ソルフェージュ。
聴音と呼ばれており、ピアノで弾かれた音や和音を楽譜に書き記すテストが必ずある。
移動度の私はこれがとても苦手だった。
もちろん今も苦手だ。
耳コピできる人最強だと思っている。
レッスンは遠いところまで通っていたので、バイトもしながら結構無理して頑張っていた。
人よりスタートが遅い分やらなきゃいけないことを凝縮してやる必要があった。
そして、私は壊れてしまった。
高校を卒業してから初めて、心療内科に相談に行った。
パニック障害だと診断を受けた。
過去の過呼吸や音が急に怖くなる現象がなんだったのかの原因が分かって納得した。
そうか…、病気だったのか…。よく頑張ってたな、私。
私は電車にも乗れなくなり、外に出ることも怖くなり、レッスンにも通えなくなった為、受験を断念した。
いつか体調が戻ったら、いつか、いつか……。
そして私はまたSAXから距離を置いていた。
骨折した腕が前のように動いてくれるのか、という不安もあった。
指が前のように動かなかったらどうしよう。自分の望む音色が鳴らなかったら嫌だ。
何かと理由をつけて向き合う事から逃げていた。
そして私は、もう逃げることをやめる。
本当にやりたいこと、没頭できること、音を通して伝えたい想いがあるということ。
通常のSAXは音量が大きすぎるため、家では練習できないのがネックだった。
今は、YDS-150という見た目ほぼソプラノサックスでケーブルに繋いでヘッドホンで自分の音を聴きながら練習することができる。
アナログと全く同じとは言い難いが、フィンガリングの練習には十分だと思った。
何より1本でソプラノ、アルト、テナー、バリトンの4つの楽器の音を鳴らせるのが魅力的すぎる!
多重録音すれば1人カルテットできる!
諦める必要はなかったみたい。
いつから再開してもいい。
昔諦めた夢に、また逢いにきた。
また、私を音楽の世界で泳がせてくれないかい?
今の私だから表現できる音楽があると思うんだ。
息を吹き込んだ瞬間、すぐあの頃に戻れる。
テクニックや体力は落ちてるけど、すぐにゾーンに入れる。
当時無意識にそれをやっていたんだろうな。
だから私はSAXに救われたんだ。
少しずつ感覚を思い出して、DAWソフトを使用して、これから音を楽しんでいこうと思います。
MIDIやDTMにも興味持ち始めて、編曲や作曲にも手を出しそう。
Adobeのソフトを色々触って来ていたので、今のところDAWも拒否反応を起こさず進めてる。
いろんな機材だらけで、配線地獄です。
ワークスペースももっと広げる予定。
ちょっと今のデスクでは狭くなってきた。
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