写真展「50年前の漁村を歩く」備忘録②
父・鼻谷幸太郎のモノクロ写真展「50年前の漁村を歩く」は、2024年7月4日(日)~28日(日)、鳥羽市の鳥羽大庄屋かどや開かれ終了しました。
備忘録②として、開催中のことをいくつか書き残しておきます。
開催中のこと
開催初日の様子
展示初日、父と在廊していると、まず60歳代の男性の方がお一人で来てくれました。鳥羽大庄屋かどやの館長のお友達で、坂手島のご出身でした。
後からも何人か来られ、みなさん展示室を行きつ戻りつ、じっくりと見ていかれました。その場で、お友達にLINEで拡散してくださる方もいました。
畳に座り当時の思い出を話し込んでいくお客さんもいました。対応で汗をかくぼくと父に、かどやのスタッフさんは冷たいお茶を持ってきてくれました。
ギャラリーでの写真展とはかなり違う雰囲気でしたが、交流施設という場所で、地元にとって懐かしい内容の展示ですから、これはこれでありだと思いました。
鳥羽大庄屋かどやは、江戸時代後期建造の富豪の家屋で、国の登録有形文化財となっています。料理などさまざまな教室や催しに活用されています。
この日は1階で小唄教室をやっていました。階段の下から三味線の音と伊勢音頭が聞こえてきました。※動画の音をONにして聞いてください。
2日目以降は不定期で在廊しました。ぼくが知人を連れて行ったりで、合計7回くらいでしょうか。
地元テレビ局の取材
開催7日目の7月10日に、地元テレビ局の三重テレビさんが取材に来て、その日の夕方と夜のニュースで放送してくれました。
ぼくは現場に立ち合って、ディレクターさんの質問に答えました。一方でカメラマンさんはさくさくと撮影を進めていましたが、こういう場合は、電灯を消すとか窓を閉めるとか聞いたほうがいいのかなと、思いながら声をかけそびれてしまいました。
定期船乗り場の「どんびかご」
展示の中には、離島の神島と坂手島の作品も含まれています。
そこで、鳥羽本土と離島をつなぐ市営定期船乗り場の"鳥羽マリンターミナル"に、今写真展のキービジュアルとしている神島の作品を飾って宣伝してもらおうと思いつきました。
施設の管理事務所にお願いをしたところ、観光ポスターが並ぶ通路の壁の空いたスペースに吊してもらえました。施設にある案内所の鳥羽ビジターセンターには、宣伝用のポストカード置かせてもらいました。
センターの方によると、60代くらいの男性が訪ねてきて「答志の写真はなさそうだが、今から見てくるわ!」と言って向かってくれたそうです。答志島の方が関心を持ってくれたようです。ありがたいです。協力していただいたおかげです。
ところでこの写真は、父が1968(昭和48)年に神島で撮影したもので、女の子たちが、浜で大きなかごに入って遊んでいたところを撮ったそうです。
このかごは、鳥羽ではかつて「どんびかご」「おんびかご」と呼ばれていた漁具です(「おんび」はアワビを指すという説があります)。伊勢エビなどの獲物を入れて海に浸し、生け簀のように使っていました。昔は浜によく置いてあったそうです。実際、遊び道具にしていたと話す方に会いました。
そして、作品に写るものと全く同じ物が、定期船乗り場の外に置かれていることには、以前から気付いていました。展示物のようですが、説明の看板もなくもったいないなと思っていました。
中の通路に作品を掛けてもらう前に、父の作品とこの「どんびかご」の記念撮影をさせてもらいました。
50年前の安乗文楽
さて、話を鳥羽大庄屋かどやの展示会場に戻します。「安乗こども文楽」コーナーとして10点を集めました。
安乗文楽(国重要無形文化財「安乗の人形芝居」)は、志摩市の安乗神社の祭礼行事として、400年以上も昔から演じられてきた伝統の人形芝居です。子どもたちも人形の操作やお囃子の稽古に励み、神社の舞台で演じます。
大正期に一時中断され、戦後に再興。近年は地元小学校が廃止されピンチとなりましたが、統合先の学校でクラブ活動となりました。伝統行事とはいえ、生き残るため変化もしてきたはずです。
展示の写真は、1974(昭和49)年に撮影したものです。
地元の写真家で安乗文楽を毎年撮影している泊正徳さんが見に来てくださって、「(演目が減り)いまでは使われていない人形が写っていて珍しい」とコメントしてくれました。
また、舞台の観客席のお年寄りたちに注目していた方もいて、「当時はこんな風に髪を後ろで結んだおばあさんがたくさんいた」と言っていました。
▶備忘録③へ続く