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自殺について思うこと

自殺念慮に至る経緯は人によって違うけれど、自殺したいと思う人も実際に自殺を行動に移そうとする人もはじめから「死にたい」と思っているのだろうか…

悩み・不安・絶望の塊をどうすることもできない
何をしていてもその塊がつきまとう
塊を排除したくても日常に留まり続ける
傷ついた心が癒えぬままその塊を持ち続ける日々
塊はどんどん膨らみ苦しくて身動きが取れなくなる

だから「死にたい」のではなく…

この塊を消したい。
この塊から逃れたい。
この塊に支配される毎日を終わらせたい。

そのように追い込まれた気持ちが満タンなのであって、自殺の直前でも「死にたい」ではなく、ただただ「終わらせたい」のだと、私はそのように思っている。

死にたいという思いはその人のもので、自殺の意思もその人のものです。
その人の内面に起こる思いを他者が消去することはできない。
けれど…
「死にたい」と思うその気持ちを聴いてくれる人がいたらどうなるだろう。
「死にたい」ほどの苦しさを全部聴いてくれる人がいたらどうなるだろう。

膨らんだ塊を一瞬に消すことはできなくても、ひとまわり小さくなる塊と共存して生きる未来もあるのではないだろうか…


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