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発達障害は特性なのか

先日、発達障害の内、ADHDを障害ではなく、ありふれた個性として扱うべきではないかという記事が出た。それはつまり、投薬などの治療をしないことを示す。

私の見解は、今までと変わらず、「治療するかどうかは任せるがそれでも障害として扱って欲しい」である。そうでないと本人が生きづらくて仕方がないし、個性として扱う以上、周りの支援が受けられない。今の世の中は健常者に向けて作られているものが多過ぎる。特にADHDの症状の中の多動は、授業中に出てしまえば学級崩壊として捉えられている。担任は勿論、本人も動きたくて動いているわけではない以上、困りごとでしかない。

就労にも支障はある。よく忘れ物をしたり、メモを取ろうにもメモそのものを忘れたり、メモを取らなくても大丈夫だと過信したり、メモをなくしたり…

それらを個性として扱うにはあまりにも生きづらい。だとしたら社会の理解が得られる手段としてなら障害者として生きるのもひとつなのではないだろうか。

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hanasoraen
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