子どもは親のテープレコーダー

昔、親に対する悪口として『親が親なら子も子ね』という言葉がありました(これは子どもに対しての悪口ではありません。あくまでも、大人が大人に対して言う悪口です)。

最近タイトルにした言葉を知りました。『この言葉は「親が親なら子も子ね」と同じ意味なのか?』と暫く考えていたのですが、たぶん違うように思います。

まず、人は自分のことはわからない。自分のことは見えないようにできています。しかし、自分以外の人のことはわかり、人のことは見えるわけです。

私はこの『子どもは親のテープレコーダー』を家族にあてはめたところ、『先に生まれた人』と父親に、同じ人物が見えて、知っている親族で父方の伯母という人物からも同じ人物が見えたのです。

それは、祖父でした。

私は祖父のことが嫌いでした。その祖父がもう亡くなって、相当な年月を経ているのに、父親や『先に生まれた人』から祖父の言葉が出ているのです。それは『自己肯定感を得るために、人工的に弱い人間を作り出し、その人間をけなすことによって、気分良く過ごす』という悪質としか言いようがない言葉や行為でした。ザ・昭和ですね。

私はずっと祖父のことが嫌いでしたが、近年祖父の言葉や行為について時々『ちょっと祖父のことが理解できるかもしれない』と思ってしまうことがあるのです。

それは『善人や優しい人に漬け込む人間の存在』です。こいつ、弱いから超ボロいぜ~!こいつ、優しいから超ボロいぜ~!みたいなヘンテコリンが時々いるんですね。そういうヘンテコリンには

「さぁ?私とは関係ないですから」とか
「ちょっと、トイレ行ってきます」と言って、そのまま帰宅しちゃうとかすると

こっちはポーカーフェイスでいますが、勝手にヘンテコリンの脳内でなんか起こっているみたいなので、放置します。

こういうヘンテコリンを祖父は祖父なりに成敗していたのだな、と近年になってから時々わかることが増えました。

要は、普通はなめられてるとわかったら潰しにかかりますが、祖父の場合は身近にいる人間全員なめられる前に潰しにかかっていた。。。と、わかった。。。ザ・昭和だな。。。究極の自己肯定感。。。迷惑。。。

私も最終的に祖父のような『誰か傍にやっつける相手がいないと気が済まない人間』になっていくのだろうか?ひとりが大好物なのに?

まぁ、私がひとりが大好物なのは『やっつける相手が傍にいないと気が済まない人間が常に近くに居たから』だということがわかったことが良かったことなのかも。。。

もう人身御供の人生は終わりにしよう。

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