「やっぱり無駄な我慢だったんだ!」

以前に書いた『環境破壊なのか?』の後日談である。

母の「我慢しなさい」の言い付けを守ったところ、次々と体調を崩していった。

事業所に人がいるかどうか、ちょっと微妙な日があったので、午後行ってみると、会計をしてくれる方がいて。大家さんもいて。「すみません、私、この1ヶ月くらい悪臭を我慢して過ごしたところ、浅くしか呼吸できなくて、うまく立ち回れないんです」というようなことを言ったところ

会計の方が町会長で。とてもいろいろなことをご存知で。この方はあちこちの国に仕事で行っていたようで、なんというか

トラブル対応に強いひとだったんですね。

それで今までの流れをひと通り話したところ、町会長から役所の公害対策課へ電話する。という流れをはじめて知って。その日が土曜日の夕方でしたので、月曜日に町会長に確認してもらって、町会長から役所の公害対策課に電話。ということになり、

めんどくさいから、町会長とばして、町会役員に直接『臭いの強弱はないが常に臭いを感じるポイント』に来てもらい、確認してもらって、

「電話するばいいのね?」みたいな感じで。

はっきり言おう。相当体調は悪かったけど、軽くみていた。。。最初に役所から人が来たのだけど、なぜか「ガスが」とか言っていて。ただ、自分で「役所から来たんですけど」という嘘をつく。というパターンも現在はある時代にいるので、ここはなんともいえない。それから3時間後くらいに白い大きなバンがうちの前を曲がることができなくて、大丈夫か?と思い、

「大丈夫ですか?曲がれます?」と聞いてみたところ、「ふたりいるので、なんとか」みたいになったのですが

「警察です。ここから見えるあの建造物はどこにあるのですか?」と聞かれ

「あれは商店街ですよ」と話したところ(これも現在はなんともな感じはあるのですが)

その後、次々とパトサイレンが鳴って。何台パトカー来たんだ?と思うほど、パトサイレン鳴っていて。夕方になると

今までなかった超音波みたいな音がずっとしているんです。ファファファファファー。で1回なんですが、この音がずっと鳴っているんです。

ただ、この日から臭いにおいは相当軽減されました。こんなに違うか?と思うほど臭さは小さくなりました。逆にそのことにびっくりしました。

『公害に入るレベルだったんだ』と思いましたし、更に驚いたのは

『悪臭防止法』という法律があったことです。知らなかった。。。日本に様々な公害という不幸な時代が存在しました。丁度高度経済成長期に産業公害が問題になった頃にできた法律のようでした。

先週の土曜日の予定のことで『先生』の植物の会の常連さんから「今日の予定知ってる?」というような電話があって、「『先生』は心筋梗塞で先月運ばれて、今月また手術されて、お休みになりましたよ」という話をしたところ、その後、最近どうですか?みたいな話になり、

「私、化学物質臭に1ヶ月くらい我慢をしたところ、体調は崩すわ、胸の真ん中が痛くて呼吸が浅くしかできなくて。そういう不自由を今経験しています」と話したところ
「それ、すぐ役所に相談していいやつなんだよ。すぐに動いてくれるから。

住んでいる人が健康に暮らす権利があるんだよ」と言われた時に

やっぱり、しなくていい我慢をしてしまったんだ。と思いました。

そして、私は似たような光景を高校時代に味わったのでした。私は高校の3年間で思わぬ出来事に次々と神経をすり減らしていきました。そのひとつが

ひとりだけ違う制服を着ていた。というものでした。

スタートはみんな同じ制服を着ていました。しかし高校入学後、2ヶ月くらい経った頃だったように思います。朝、教室に入るとクラスメイトが泣いているのです。「どうしたの?」と聞いてみると、深夜の人気ラジオ番組であるお笑い芸人が『ばかでブスで陰険な学校』として、この学校の名前をあげたそうで。名指しで全国放送のラジオで言ったんだ。。。という感じでしたが

事件が発生します。

そのラジオ放送から、だいたい5日後くらいだったように思います。東京の中でもメインステーションになりうる大きな駅で、うちの高校の制服を着た生徒が

スカートを切断されました。

当時はネット社会になっていない状態だったので、特定に時間が掛かったのだと思います。おそらくはラジオを聞いた人間が『ばかでブスで陰険な人間は排除するべきだ』というようなナチス的な優生意識で、なにをしても構わない。なぜならば、ばかでブスで陰険な人間はいらない。というようなやばい思想だったのだと思います。この事件は暫く続きました。制服の切断の他に、制服の放火や、なにか液体を制服にかけられる。というような次々と

バリエーションに富んでいて。

嫌がらせの域を越えていました。なにか悪口をネット掲示板に書かれるという時代より前の話ですので、直接被害が出る。というもので

毎日が恐怖でした。

日本人の私でさえ、風評としてこれだけ恐い目に学校単位で遭うと、チョゴリの制服の子たちなんて、大変だと思います。伝統衣装の気高さも大事ではありますが、命と若い時間を優先してください。

私が通っていた高校は、元々制服変更が決まっていて、翌年から制服が変わることが決まったいたのですが、それはあくまで次の新入生からということになっていました。が

命には代えられず、経済的なこともあり

『希望者は在学生でも購入可』ということになりました。が、

自分の子どもがかわいいんです。子どもが「欲しい!」といえば買ってあげるし、なによりも自分の子がケガをしたり、場合によっては。。。みたいなことって、あるじゃないですか。そういうので、そうなると

『深夜ラジオで酷い発言をした芸人が悪い』という根本的な原因を愛情というお金を掛ければ危険回避が可能なわけになるんです。だから、このケースでは

制服変更=お金=親の愛情表現

ということでした。毎日緊張感のある通学をしながら、私も両親に相談をしました。笑っていました。

「そんなことで駅で殺されるのなら、

 それがおまえの運命なんだよ」

おまえにお金を掛けたくない。そういうことでした。まぁ、早くいなくなったら、普通にひとり分の生活費は必要なくなり、生活は豊かになるかもしれません。だから私は苦し紛れに『この素敵な新制服は買ってもらえない以前に、私には似合わないんだ』と理由付けをして耐えることにしました。

しかし、これは電車に乗っている時間は『制服切られるのかな』という恐怖の時間に神経をすり減らし、教室に入ると目の前には違う制服しか見えないので自分が場違いというか劣っているような気持ちになり、まるで自分が肌の色が違うのに外国の学校にひとりだけアジア人で周りが白人のような劣等感に襲われるような緊張感がありました。

しかし、日本に住んでいると高校は卒業できないと、資格が取れないという不思議があることを知っていました。私は高校の普通科の昼間部に在籍していましたが、母の強要でなぜか通信科の美容学校にレポート提出をしていました。美容学校を卒業するには高校は卒業していなければならない。なんでなんだろう。こんなにいうことを聞いているのに、いつも人から見下されるほど、与えられない。

卒業アルバムができた時、私は「この卒業アルバムでは『リニューアル前の制服』だからと以前の制服を着ている子がいるけど、ほんとうは私だけなんだよ。古い制服で学校に通っているのは」と言ったら

「おまえは嘘をついている。だって、写真に違う制服の子がいるじゃないか」

そんなこんなで、卒業式を迎える前に私は母に言いました。

「卒業式に来ないで」

それは袋叩きに遭う。ということがわかっていたからです。しかし母は私が恥ずかしがっているとか、その手の勘違いをしたのだと思います。卒業式に来てしまいました。そして、他のお母さんたちの中でひとり

顔色を変えてビクビクし、肩身を狭くしていました。

私が近づくと
「知らなかったんだ。わからなかったんだ」と言い訳をしていましたが、取り返しがつかないというか、終わってしまったことでした。ずいぶんなじられたようで。

「自分の子じゃないのか」
「それでも母親なのか」
「うちは養女だけど買ったよ」
「うちは母子家庭で生活が大変だけど買った」
「どういうつもりなんだ」
「そんなにお金が大事か」
「どうしていちばんいい時に愛情を掛けないんだ。これからいいことなんてないのに」

これらはまぁ聞こえたんですけど、当時いちばんびっくりしたのは「これからいいことなんてないのに」という言葉が聞こえた時、『え?こんなにずっと我慢してきて、これからよくなると信じていたんだけど』と思っていたんです。

私は今、そのお母さんたちくらいの年齢になりましたが、結婚して子どもが生まれたら、夫と子どものお世話で自由時間がなくなるとか、若さは貴重な時間とか、そんな意味だったのだろうと思っています。

当時としては規格外の独り者なので、今やっとしあわせになった感じでなんとか生きています。

thank you!

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