いちご新聞を1年読んで

今年サンリオさんのいちご新聞を1月号から12月号まで読んだ。ひとが読むいちご新聞を数メートル先で『いちご新聞を読んでいるひと』を捉えながら、なんとも寂しい世界にいたものだ。と、自分の幼少期を思い出す。

目の前に欲しい物品を捉えながらも、自分には絶対に手に入れることが

許されない。

なかなか残酷な我慢だった。いちご新聞は自宅にある。しかし『私が見ることも手に取ることも

もちろん、欲しがることも

許さない』

家族が意地悪がすぎたー!
昭和がばか意地悪すぎたー!

。。。まぁ、そういうやつでした。母からは『大人になりなさい』とか『卒業しなさい』とかそんなふうに諭されながら、私は決まって、こう言わなければいけなかった。

「こんなものはいらない」
「子どもっぽい」
「必要ない」
「実用的じゃない」

それはお金を使いたくない家族に対して誠実で、自分に対して刃を突きつけるような言葉だった。自分を殺して、かわいいものに囲まれた人にはおそらくそんな現実があったとは思いもよらないことだろう。

人から反感を買うことが、家族にとっては今日の自宅の2合くらいのお米代にはなるのだ。

かわいいに憧れながら、
欲しいという気持ちを切り捨てる。

「ほんとうは欲しいけど、手に入れたら怒られる」

生きながら亡骸に。経済とは残酷だ。

今思うと、あの経験は必要だったか?と思うと、間違いだったように思う。かわいいものはかわいい。欲しいものは欲しい。

その言葉さえもいえなくさせられる。
卒業するにも経験があってから、ライフステージが変わっていくのであって、学力の飛び級はあっても、

感情の飛び級って、相当やばいと思う。

「おまえは一生泣いて暮らせ。笑うことは許さない」みたいな感じだ。酷である。ただ、小学校の担任に近いことは言われたことがある。

「こいつは授業中は固まって喋りやしないが、休み時間には笑っている『お面のおばさん』なんだよ。勉強ができないやつが休み時間に

笑うんじゃない」

この担任は30歳くらいの男だったが、こういうのは相場が決まっているらしい。結婚して子どもが生まれると

自分がいじめ抜いた子どもと似たような子が誕生するらしい。その時が学びの時なのだが

やっつけるらしいですよ。。。

おそらく、5周遅れくらい遅れて、いちご新聞を手に入れ読んでみて、普通に育った人なら「懐かしい!」となるのだと思う。私は

「人は子ども時代にこんな憧れを持つことが許されていたんだな」

無駄は必要だ。だから私は『コスパ最高!』はお金が使えない状態である。というのはよくわかる。ただ『タイパ最高!』は

だいぶまずいと思う。

なぜならば、経験って、相当大事で。時間は自分でどうにかつくらないといけない。たいていどっちかで。

時間があって、お金がないか
お金があって、時間がないか

であって、どっちもある時は高齢で健康がないとか、どっちもないとかになると

家族のどこから失敗したか。というファミリーツリーから、失敗の回収をしなければならない。そうしないと貧困を解消することができない。

私はいちご新聞を読みながら、いちご新聞を欲しくても手に入らない少女期を思い出し

手に入れられる値段なのに、とてもやさしい内容なのに、なぜこのかわいいの世界を目で追いながらも、心を殺して生きなければならなかったのだろうと思う。

なぜ、聞き分けのいい大人のような生き方をしなければならなかったのだろうか。

たぶん、家族の心の貧しさだったように思う。1000円は当時結構買えたのは事実だが、当時100円とか150円のいちご新聞はコストカットしてでも子どもに与えないことや、子どものうちに諦める練習をさせることは果たして良いことだったか?ということだ。

わからんけど、こういうのを本気でリベンジ消費する人とかいるじゃないですか。

値段普通に10倍以上ついてたりするので、コストカットどころか。。。

なんでもショートカットなんてできないと思う。結局のところ、ショートカットした間の部分を復習することはやってくるように思う。

誰かを羨ましがっても、それはただの幻想で、その誰かは壮絶な人生を送っていて羨ましいとは限らない。

おまえ、想像力たくましいな。みたいになることが殆どであって、楽しい!ふりがお上手なだけだ。

この1年のいちご新聞はサンリオのカタログの他に『日本経済新聞 私の履歴書』のような連載があった。たまたまだったらしい。大人向けの読み物を子どもも読める内容に砕いて読ませていただいた。エリートが壮絶苦労する話だったのだけど、やっぱり創業者はどの会社もストーリーを持っていて、そんな苦労も世界のサンリオにとっては「ただのネタですよ」といちごの王様はおっしゃいそうだ。その時代、公務員というものは人生を制するようなことでした。その時代に県庁さんという一生安泰の職を捨てて、マイナスになっても、

良き人だったから、良き人と出会い、やがては

日本にスヌーピーを連れてきてくれた。

私が当時好きだったキャラクターはキキララちゃんでした。しかし双子のキャラクターのせいか、なんか手に入らなかったんですね。一時期はザシキブタも好きでしたし、タキシードサムなんかは、ピンクとか買わせてくれない家だったので、ブルーのタキシードサムは家にあってもそんなに怒られない感じでした。

私の憧れ、サンリオ。
私の憧れのいちご新聞。
1年間、ただしあわせでした。

ありがとうございました。

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