元日の地震の覚書 3
記録としてnoteに書いているだけであって、心中はまったく安心できない状態だ。
今日の日中、元日の震災で連絡が取れなかった縁者と繋がった。集会所にいたり、ケータイの登録がされていなかったのか、「誰だか?」みたいな混乱があり、電話で話しながら
だいたいの風景が見えてきた。
縁者は、母の同級生の女性であり、夫は出産後に母を亡くし、後妻さんに育てられたため、実母の顔がわからない状態だったため、家系を辿ったところ(過疎地域は結構ルーツを辿れるんですよ)、小さな地域なので私の母の実家に実母のルーツが入っていることがわかり、それで「母親の顔が知りたいから、写真を探させて欲しい」ということになり、その夫さんは亡き母の写真を探したが
残念ながら、写真を見つけることはできませんでした。
そういう流れから、親戚という付き合いが始まって、野菜とか、送ってくださっている。もうすごく大変なのはわかっているから、やめてもいいよ。という話はしているのだけど、
生きがいになっているらしく、パイナップルが入っているようなとても大きな段ボール箱に農作物が送られてくる。その段ボール箱を見る度に「絶対大変だよね」という話を母としている。なぜならば、同じ段ボール箱を母の兄弟全員分と自分の子たちの家まで送っているらしいことを聞いたからだ。8箱とか。。。それを考えると、宅配受付まで運ぶこととか、送料とか、いろいろ大変なはずなわけで。頂いて「わーい!得した!ありがとう!」でもいいのかもしれないが
そこまで無知ではない。
私の母や母の兄さんが畑をやっているが、完全に放置して育つ場合もあるが、本気の農家さんの仕事を見たことがある。おそらくはトラクターを入れるのがめんどくさいくらいの大きさだったから、人力でやっていたのだと思う。
いわゆる天地返しというやつだと思う。
「ごめん。できない」というレベルでクワを入れるやつ。
それを80オーバーの方がやっていると思うと、頂くのはとても嬉しいし、ありがたいけど、身体は壊さないでね!と思ってしまうのだ。
母の実家があまりにも淡白すぎたせいか、大丈夫だったんだな。くらいで終了だったが、縁者の話を聞いていて、現在体調不良な私も
ますます具合が悪くなってきた。
家の中で夫婦でいたらしい。そうしたら突然の地震で箪笥が倒れてきた。次に倒れそうな箪笥を抑えていると、別に置いてあった食器棚から次々と食器類が落ちてきて、自宅が危険になり、外に出ると、地面が隆起して、道が地割れしているのを見て、恐怖は増し、そのまま2人で集会所まで逃げてきた。という話だった。おそらくは車?で逃げてきたようで、ガソリンがないことが深刻だ。という話はしていた。おそらくは母の実家が行った集会所とは別?という感じで「そこまでは行けなかった」という話をしていたから、別の集会所だったのでは?という感じだ。初日はずいぶん厳しい環境に置かれたようだったが、現在はその集会所は暖は取れるような話だったが
やっぱり、水はどこでも問題のようで。
飲料水は勿論だけど、やっぱりトイレはいろいろ大変みたいで。トイレは衛生面と直結するので、手指消毒もやりすぎると手に傷が発生すると、そこでも衛生面と直接する。という。。。
ふて寝していいよ。
安心できない感じが伝わってしまって。結局、余震が震度5とかじゃ、
安心できるわけがない。
それくらいわかる。
ばかなんだけど、そこまでアレじゃない。
今、やっぱり、海路とか空路とか使っているようなんだけど、たぶん正解は
空母のような。。。誰か貸して!まじで貸してあげて!
あれだったら、運べそうな感じがする。
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