12月24日にあのひとは
12月24日は、苦悩の中にいた。
先程も書いたが、アクリル酸ガス曝露被害のひとつに皮膚の柔らかいところが色素沈着のようなふちができたり、薄い模様のようなあとができた。
顔に中がない輪シミが発生した。
液体を沸騰させたようなラインだけのシミが現在2つ。目の周りのクマのような色素沈着のようなものの他に中抜きのシミができた。まだそばかすのようなシミとか紫外線焼けとかそういうわかりやすいやつではなくて、中抜きのシミ。こんなのはじめて見た。
発見した時は、相当落ち込んだ。
自分のケアによるミスではなく、相手は化学物質だ。人体曝露とはほんとうに未知の世界で、次にどんな辛い展開が待っているのか
わからないのだ。
そんなものが近所にいるのだ。次々自分に起こる外見上の醜悪に少しでも抵抗しようと
髪型を変えたり
服装は胸痛のせいで変わってしまったが
自分を変えても変えても、残念な結果が追いかけてくる。警察に
「悪臭です。ガスです。近くにアクリルレーザー加工をしていて、その悪臭がキツいんです」と言っても
何故かアクリル酸ガスが人体曝露として有害であることに警察が繋がらず、ただの悪臭問題で警察が注意して終わり。なのだ。
現在、私の周りに理系の方が多いせいか、
国際基準としてアクリル酸ガスはまずいでしょう。という見解なのだが
日本の法律が追いついていない。わかりやすくいうと、大麻グミに近い感じらしい。確実に体調を崩すものだということを知識人は知っているのに
日本にそれを取り締まる法律がない。
常識的にそれは複数台動かすのならば、場所は街や住宅街はまずいでしょう。という感じだ。要は趣味で1台アクリルレーザー加工をするのならば、それほど問題が起きることは発生しないが、複数台量産されると
どう考えても健康被害出るでしょう。という話で。
それが現実として住宅街で疑問に思うような工業地帯のような謎の悪臭がつづき、日本という我慢することを美徳とした国で暫く我慢した結果
体調は崩すわ、痺れはあるわ、
そして現在、日常生活ではできないような謎すぎるシミが発生した。
家の中でも落ち込むような出来事が発生した。
思ったんだ。『これは私の人生ではない』
これはおかしい。こんなの絶対におかしい。と何度も言った。しかしすべて『家の人』に打ち消された。私の家では必ず私が間違っていないといけない。という謎の掟のようなものがあった。そのスタートは
国家公務員の祖父がはじめたものだった。
まだ3歳になっていない私は、祖父が死んだらすべて終わると思っていた。しかし、この私が必ず間違っていないといけない。という謎ルールは第一子に変わり、父に変わり、学校の先生に変わり、謎ルールから抜けることはほとんど不可能だった。その謎ルールの中にいつのまにか
母まで加わっていた。
私が間違えていないといけない。私は近くにいる知見者に答えを求めると「有毒ガスである。しかしガスは気体のため、人体曝露被害の証明は難しいだろう」という見解だった。しかし、知見者が言ったことでも私が言うと
私の家では『私が間違えていないといけない』ので、不正解。ということで打ち消されてしまう。しかし
近くに私の他にも人体曝露している人はいるのだ。高い給料に集まってきたわけじゃない。
住宅街に住んでいただけだ。
私はクリスマスイブとクリスマスに泣いていた。
もう嫌だ。と。生き地獄だ。と。
家で日本語が通じない。
真っ当なことを言っても
「ばかのおまえにわかるわけないじゃないか」と知見者からの回答さえ、私が口にすると
ウソになる。
すごく不思議だ。ある人が「カネがない」と言っていた。その理由が「娘に大学受験させてその受験料が
20万を超えた」
という話だった。私の家は大学受験さえ許してくれない。理由は「カネが掛かるから」だ。夢を見させるとカネが掛かる。だから、安い夢で我慢しておけ。夢は見るもので、叶えるものではない。
残酷すぎた。
私は自分の目で、左腕内側にできた薄い模様のようなものと、手鏡で人体曝露によってできた薄いシミを見ながら、泣いていた。すると、今すきなひとがメッセージをくれた。私が金曜日に帯状疱疹ワクチンを打ったり、アクリル酸ガスの人体曝露のせいで体調不良がつづく日々を暮らしていたことを知っていたから、体調いかがですか?的なことだった。私は普通に暮らしていたら発生しないようなシミに、自分の過失ではないだけになんとも言えない感じだった。
ガス曝露は証明が難しい。しかし、不自然な現象が次々と発生してる。
なんで、よりによって顔に出るかな。。。!
誰にも会いたくない。
『差し入れしましょうか?』
それは今思うと、そのひとの
『会おう』だったのだと思う。しかし、私は
『顔に突然不自然な色が発生して。目頭に目の下のようなクマみたいなチャコール系ができて
会いたくない』
『人の顔色というのは日々違うものだから、気にしてはいけない』
『ごめんなさい。嫌なことばかりで、誰にも会いたくないんです。辛いことばかり』
そして今日メッセージがあった。
『明日から出掛けます』
私は今年、そのひとと会うことができた日はその時に
12月24日が最後だったと知ったのだ。愕然とした。なんでわかってあげられなかったのだろうと思った。そのひとにとっては、12月24日に会おうとする行為がすごい勇気だったかもしれない。それを私は自分の突然発生した醜悪に囚われて、悲しみの中で
断ってしまったのだ。その日がクリスマスイブだったということは頭の片隅にはあった。が
突然日常がよそ者に崩された。
クリスマスの日には、自分の人体曝露に悲観して泣きながら、スマホのアドレスを消す作業をするという
こんな現実は2ヶ月前にはなかった。
静かな生活をしていた。今は自転車を漕ぐ体力もない。
私はこんなメッセージを送った。
『今年最後に会えたのが24日だったんですね。
ごめんね。
無事帰宅してください』
無事帰宅してください。私には化学物質曝露のシミができてしまい、以前の外見とは違っているけど
中身は私なので。
なんだか、ムーミンのひこうおにの話みたいな現実。