ヘルニアが治ったら
辛すぎる坐骨神経痛はヘルニアだった。。。
不運と幸運が繰り返される出来事だった。最初に不運が発生したのだが、それは
身をもって、『日本の福祉のドス黒い部分を体験してしまった』という出来事だった。
。。。悪臭が発生して。その悪臭の現場を特定できなくて。その悪臭がなぜか
住民が『テナントなんて入っていないと思っていた路面店舗で、A型支援施設という名目で
アクリルレーザー加工所ができていて、アクリルレーザー加工の作業工程で
アクリル酸ガスというものが発生し、それが悪臭の原因だった』とわかるまで
既に6週間。悪臭がして2週間目くらいにはもう口の中が苦くて、赤い発疹が出たため、皮膚科を受診している。令和5年10月20日に皮膚科へ行き、軟膏を調剤薬局で処方してもらっている。これが次々とはじまる体調不良のスタートだった。
その時、この事業者は
「上の者がいないので
中を見せることはできません」と言ったため
「あそこ、中見せられないくらいヤバいらしい」と解釈され、さらにアクリル酸ガスというものに対して
「毒性はありません」と
大ウソをついた。うちの親は
まだこの大ウソを
ウソではない。と信じてる。
私は悪臭と皮膚炎の発生、口の中が突然苦味から逃れられなくなり、何を食べてもすべてに苦味が混ざるとか、悪臭の正体がアクリルレーザー加工によるものだったという流れを
薬学の専門家にすべて話していたので、すぐに『毒性があり、海外では犯罪行為』と
ほんとうのことを知ることになった。
『化学物質系の有毒ガス』と知ったところで、役所の介入があっても
その毒ガスから逃げることはできなかった。
不思議なんだ。みんな、ウソつきの方を信じる。株式会社とか、大学の非常勤講師がフェローとか、地方新聞に掲載されたとか、
そっちが大ウソを見抜けていなかったら?とか
信じないんだ。
表面上では『活性炭除去をしている』ということで悪臭自体はなくなった。のだけど
疑問に思うほど、次々とからだが壊れた。婦人科系の異常が発生した時点で人間ドックを予約した。その時には、外見上の破壊が発生。人間ドックを予約したところで、2ヶ月先で、人間ドックに行った結果として
消化器系の破壊が胆管までおよび、
腎臓はひとつダメになっていた。
親には言えなかった。「毒性はありません」というウソを信じてる。私が「あいつ、騙したぞ」と言ったところで
家族の中で私という存在がばかにされているというか、存在価値がないというか
私は常に『間違っていないといけない』という存在なので、その判断が薬学のプロの答えでも、私の口から出た言葉だったら
それは『ばかにしないといけない』という悪習が一生ついてまわる。という状態なのだ。
はっきり言ってしまうと、家族全員が私個人が家族を何かしらの理由で越えることを
赦さない。という環境下にある。
だから、大学なんて絵に描いた餅のような存在で、更に私が知識人と交友があることを知ると
進んで、交友を断ち切るような指示が実際に発生し、
とても変な話なのでだけど、
「うちよりも『下の人間と付き合え』」と言われて
はじめて目が覚めたような気がする。
それまでは『親の言うことは聞かなくてはいけない』とか『親の言うことは絶対だ』というような
子どもにはどうしようもない呪いのようなものがあった。この流れを超忙しい友人に話した時、その友人は中学時代の友人なので、それなりに私のことを知っているので(この友人は私よりもずっと苦労をしていると私は思っている)
「それは、子どもが生きていくためには親に従わないと、生きていくこと自体が問題となってしまうので、ハナトリさんが悪いとかそういう話ではなく
『生きていくために仕方がないこと』だったのだと思う。子どもには選択肢がなかった。そういうことなんだよ」と教えてもらった。
理系の人から見ると
「話では聞いていたけど、
ほんとうに実在するんだ。。。」という話らしく。。。なんとなく怖いので
自分から詳しい話を聞くことは避けている。。。
消化器系の破壊が発生したことにより、胸痛が発生。胸痛がキツいため、10分しか動くことができず、倍の時間の休憩をしないと動くことができない。という悪循環が発生。それが
ほとんど寝たきりの状態に近かったようで、突然坐骨神経痛が発生。
ヘルニアだった。整形外科において、強すぎる痛みの対応として、ブロック注射の処置。MRI。医師や理学療法士のチームの判断で、脊椎外来が担当医になる。私はそれまでの人生において、腰のMRIを撮るようなことがなく、
普通のヘルニアの患者がどのくらい飛び出しているのかとか
自分がどのくらいヘルニアにおいて普通じゃないくらい飛び出しているのかが
よくわからないし、たぶん、知ったら結果良くないのだと思ってる。
ただ、この整形外科は
『ヘルニアは手術しないで、飛び出しているヘルニアが元に戻るまで診て治す』という
私にとって、ラッキーな整形外科だったのだ。
なんていうか、不運はある。どうしようもない。不運というのは、ほぼ避けられない。ただ
不運の中にある一滴の幸運を探すことができるか。見つけることができるか。みたいなことはあるのだ。
実は幸運は近くにあったりするものなのだ。
ただ、それを見つけるには、情報を自分で見つける。というのは、ほぼ厳しいと思ってる。
私は『第三者から見て絶対的に正義であり、ちゃんとした情報を持つ知識人』と知人だろうか。というような感じだ。ある意味これは上記に書いた悪臭であるアクリルレーザー加工を正当化しているA型支援施設にも当て嵌まるのだ。
人体にとって有毒なガスを発生させても、障がい者手帳を保有する人に高い賃金を謳い
大学の非常勤講師がフェローでも有毒ガスは発生するし、地方の経済新聞に素晴らしいと掲載されたところで、現場では1日8時間アクリル酸ガスは発生していたのだ。
不思議なんだ。これは素晴らしい!誰かの推し活が障がい者の賃金になる!のだけど
誰も『人体において有毒なガスが発生するため、長期的な雇用において、身体的に健康でいられるかどうか
疑問である』というところまで、話がいかない。誰も現場において
人を騙し、責任は取らない。という印象を受けた。
私は次々と起こる毒物における障がいにおいて、気がついたら巻き込まれていた。だから
毒ガスを越える。しか、道がない。
現在は、消化器系破壊をなんとか越えて、今はヘルニアだ。消化器系破壊よりもヘルニアの方がタチが悪い。痛さが別物だ。甘いものは別腹。くらい別物だ。比べものにならないくらいの痛さだ。ひとり進化の過程を追う。みたいなことになってる。最初は四足が基本で、だんだん腰さえ、当たらなければ、動ける!みたいな感じだ。なんかうまいこと表現したぞ。今、ネアンデルタール人くらい。けっこう人間になってきた!
ヘルニア。。。基本バスと電車移動で、バス多めになって、行ける場所は
駅から徒歩0分施設。けっこうあった。そこへ行くことができたら、痛くなったら、しゃがむ。または、腰を斜めにして椅子に座る。
先日、駅から徒歩0分の施設の美容院でヘアカットに挑戦!できた!美容師さんがめっちゃ早いカットだから、できた!人のおかげ!という話を整形外科のリハビリ室で理学療法士さんと話したら
「チャレンジャーですね!」
と、ドイヒーであることを知っている人が言ってた。
ヘルニアが治ったら、けっこういろいろなことができそうな気がする。今はあまりにも『固定をする』ことが大切な時期で、寝た状態で両足を動かす。というのが、運動。という状態だ。
だから、たぶん、駅から徒歩0分も行ってはいけない。のだと思う。車椅子に乗る自信はない。座れないから。
菓子作ったり、料理したり、というのは、味覚が正常に働き、両手両足が自由に使える。という人から見たら
あたりまえ。の状況がすべて揃わないとできないことだったのだ。私はその普通という状況下に傲慢だったのだと思う。それは
誰かにとってはあたりまえではなく、自由なことだったのだ。
私は今、不自由の中にいる。大気汚染。まさか、福祉とか支援施設から公害レベルの有毒ガスが発生し、すでに巻き込まれていた。という事実は自分でもまだ受け止められない。
それでも、人体に有毒なガスは次々と私のからだを破壊している。
なぜか公務員は地方も国家も
「◯◯の指示に従ってください」と、自ら仕事を他の公務員に投げた結果
誰も助けてくれなかった。誰も責任を取る人が存在しない。
私は救急を今のところ、呼んでいないが、救急を呼んだところで、有毒ガスを長期垂れ流した事実を事業者が保健所に報告していないと『原因不明』ということになる。
今、この周辺で、どれだけ救急医療において『原因不明』が発生しているのだろうか。
なぜか『責任を取る大人がいない』という不思議な状況下にいる。どうしてくれるんだ。
そんなアクリル酸ガスという有毒ガスという後遺症(たぶん、後遺症ではないような?という気持ちもある)の中で
私は助かる道にいる。と思ってる。
自分は助かる。と信じてる。
私は以前より『叶う世界』に今はいるのだ。
願えば叶う。というやつではなく、悪人のウソを証明できる人と繋がっていて、それがたまたま専門知識を持つ人と知り合いで。。。とか
こんなこと、普通ある?という感じなんだ。
親の言うことを聞いて、自分よりも知識のない人と付き合っていた場合は
自分が有毒ガスにやられた。というところまで辿り着けなかったと思う。なんか具合悪い。なんで?という不幸の渦に巻き込まれていたと思う。「毒性はありません」という大ウソを信じた。と思う。こういう『正直者はばかを見る』というのは
いけないこと。
世界的にも、もう通用しない。
ちょっと前だったら、打ち消しとかあったと思う。ダメなものはダメで。
その施設はもうなくなる。
いなくなる。ではなく、なくなる。
なくなる。
なくなるんだ。
なくなるんだ。
なくなったんだ。
ある日突然消えた。
もうそっちで動いてる。
ただ、ここからはなくなるが。というのは
ある。と思ってる。
次のアタリももうついてる。
いなくなる。
その事業はここからはいなくなる。
いなくなる。
消える。
どんなかたちで消える。のかは
それはわからない。
とにかくいなくなる。
消える。
私は有毒ガスの発生源が消えたことで、やっと安心して暮らせるようになって、それから順調にヘルニアは治って、肌も元通りになり、そのアウシュビッツがあったところには
飲食店が入り、ドライブスルー対応店のような食べもの屋さんになり、
私はその頃にはなぜか
別にも住居があり、2拠点生活をしている。以前の日本に於ける『あたりまえの生活』をしている。
『あたりまえの生活』とは?
名を残すこともなく、なんとなく人の印象には残るかもしれないけど、人の中に紛れ、歩くことができ、食べものを調理することができ、賃金を稼ぐことができ、めんどくさい人間関係は捨てて、シンプルな生き方を求め、少数の人とだけ付き合い、献体の身元引受だけを頼み、すでに骨の行き先はあるので、そこへの旅路まで頼める人とだけ付き合い、静かな暮らしをしていくのです。
ただ、今までずいぶん人並以下の窮屈な生き方を強要されて生きてきたので、多少は
ポップコーンのようにはじけます。
thank you!
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