『自慢の子』という粘土細工
話を聞いていて、だんだん恐ろしくなってきた。
私が子どもの頃、Aちゃんという子がいた。Aちゃんの自宅と私の家は
相当離れている。
駅を挟んでお互いに反対側に家があり、自分の家からAちゃんの家まで徒歩で行くと子どもの足で30分?以内には着いていたと思う。なかなかのへとへとな距離なのだ。
Aちゃんと私は同じ病院で誕生している。私は医療的な問題が発生して本来なら2月3日に生まれる予定だったのだけど
12月に生まれてしまい、
Aちゃんは私が生まれた翌日に誕生した。
Aちゃんは小学校に上がる前は木登りが上手で、動物や草木に詳しかった。それは勉強して覚えたというよりも、動物や草木が好きだから、自分から調べて覚えた。という感じで。他にもAちゃんは絵を描くことを好きだった。
なんていうか、Aちゃんはひとりっ子だったせいか、ずいぶんお金をかけられていて、私と遊ぶ時は高そうなワンピースを着ていることが多かったです。上等なやつでした。
動物が好きで草木が好きで絵を描くことが好きなAちゃんには小学2年生あたりから遊ぶことがなくなり、小学5年生で同じクラスになった時にはガリ勉になっていて。私は混乱しました。
私が知っているAちゃんじゃない。
お受験のため。ただ、私の知っているAちゃんはお受験とは程遠い存在で、もしも、Aちゃんがお受験をして専門家になるようなストーリーがあったとしたら、私のイメージでは
グリーンレンジャーとか
ネイチャーレンジャーとか
完全にそっちで。顕微鏡を使うような仕事とか?、国家公務員とか?とは違うような気がします。植物と動物が好きなイメージしかないんです。
Aちゃんとは小学校で縁が切れてしまいました。早く婚姻された。と聞いています。24歳くらい?で結婚されたみたいな話を聞きました。一回り年上の方が夫さんという話でした。
母親同士が同じ病院に通い、出産の時期も同時期で、そういうので付き合いがあり、母から話を聞く。という感じです。
そんな話をそんな話をつらつらと聞いていて、Aちゃんはひとりっ子だったので、ずいぶんお金を掛けて育てられている印象でした。好きな本は買ってもらえる環境だったようですし、着飾ることもできていたし、いろいろな文化施設を知っていました。
私は彼女にプラネタリウムに連れて行ってもらうまでは、自力でプラネタリウムへ行けることさえ知らず、だいたいプラネタリウムというものは学校行事で行くだけのところだと思っていて、一般市民が行ってもいいことを知らなかったのです。しかも、子どもが自分で支払ができるレベルの金額設定でした。当時で市民であれば300円。とかだった記憶です。
私は自他ともに認めるレベルで、外見的に貧困でした。ただ、食べるものに苦労した記憶はなく、みんなが親に普通に買ってもらえるようなものはほぼ無駄金という理由で買ってもらえない。というのは現実としてありました。ファミリーコンピュータは今でも謎の物体Xでしかなく、わからないです。使い方がわからないので興味もないんです。同じようにセガサターンとかプレイステーションも完全に謎の物体Xでしかありません。いっとき、すごく頑張ってお金を貯めてパソコンを買ってみたのですが、パソコンを教わるまでのお金を捻出することはできませんでした。この辺はAちゃんはどうだったのかな?みたいなのはあります。買ってもらっていたんじゃないか?と思います。
ただ、Aちゃんは私からすると裕福に見えましたが、周りの大人のことを『あのひと』と言っていました。小2の時は普通の子が、小5には別人のような振る舞いをするようになっていました。自分の母親も『あのひと』で、頭おかしい先生(私にとっては)も『あのひと』と読んでいました。
なんていうか、私たちは子どもなりに頑張って大人の都合のいいように空気を読んで、お互いに別バージョンで、早く聞き分けのいい大人にさせられたように思っています。
お金を掛けてもらえない不幸と
母親の期待に応える不幸と
世の中、カネという数字が一生ついてまわるので、子どもなりに、生きるために
自分を気持ちを殺してでも、なんとか綺麗事にすり替えて生きていきたい。のです。
ただ、母から聞くAちゃんの小さな頃の話というのが、どうも私には引っ掛かるものがあって。
「Aちゃんが動物好きなのは、小さな頃は
『子どもには情緒教育が良い』
という話で、時間があるたびにAちゃんのお母さんは
動物園と
美術館に
連れて行っていたの。お金があるんだね」
嫌な感じがした。それは高い確率で『メディアの誘導』のような気がした。きっとお受験も同じ理由のような気がする。私は偶然一度高校生の時にAちゃんと電車の中で会ったことがある。偏差値の高い有名お嬢女子校の制服を着ていた。お嬢女子校というのはお金が掛かって当たり前!の世界で、その学校に入学した時点で公立校の3倍くらいの支払は普通の世界だ。Aちゃん、そこ行ったか!と思った。
Aちゃんは大学のサークルで星を観るようなサークルに所属したらしく、そこで12歳年上のひとと知り合い、婚姻した。というロマンチックな結婚だったと聞いています。
24歳で結婚。。。これもどこか聞いた記憶が。。。メディアが
『女は24歳までに結婚しないと売れ残り。鮮度が落ちる。
クリスマスケーキと同じ!
24日過ぎたクリスマスケーキは売れ残り!』
これ、私は知らなかったんですけど、年上の方に教えてもらったんです。メディア洗脳そのものなんですけど、このくらい追い詰めさせないと人口が増えない。とか戦略がある。と思った方が自然です。そうじゃないと
ただの悪口じゃん!
Aちゃんはお母さんがメディア洗脳をそのままほんとうに実行したようだったから、
相当振り回された生き方を強要させられたと思います。なんていうか、多数が正義という場合と、少数の上層思考があるのですが
普通の家のひとが代々お金持ちのひとに合わせると、厳しいものがあります。
お金はない。と言われ続けて、星の数ほど諦めるのと
お金は幾らでも掛ける。とずっと特別なひとになるために終わることのないプレッシャーと
なんていうか、頭の中が
女性週刊誌とか
スポーツ新聞とかみたいなひとがいるのだけど
逃げたくなる。実際、逃げられたら、逃げるのだけど
人はみんな考え方が違うので、正解はなくて。
Aちゃんの四半世紀はお母さんがメディアが良いというものをその都度その都度信じて、Aちゃんのために支払をして
メディアの作った謎のひとにAちゃんを寄せにいった。
メディアの作った謎のひとは、存在しないんです。ありえないんです。存在しないひとに
Aちゃんを寄せにいった。。。それは
別人で。Aちゃんではないひとで。では本来のAちゃんはどんなひとになるはずだったのか。というと
わからない。幼少期から、そんな動物園や美術館に情緒教育のためという下心があって連れて行っていた。と聞いてしまうと
『われ』が出る時間を与えない。ということです。
こう、べたべた貼られるというか、固めるというか、閉じ込められるんです。
今は年上の夫さんと暮らしている。と聞いているので、しあわせなんだ。と思います。
なぜ、こんなことを思い出したのか。というと、Aちゃんのような女の子を3年前?かな?見たんです。コミニティーセンターで。
その頃はコロナで、私もコロナではないのですが、目と耳に突然不調が発生して、一時期は耳の中が痛すぎて、頭を上げることもできない激痛でした。眼科は対応してもらえましたが耳鼻科はダメでした。最近人間ドックでわかったことがありましたが、耳管の太さが左右違うので、耳の中が痛いというのは特に左の耳の中が痛いのはわかる。という話でした。まあ、死ぬかな。って、その時も思っていて。だったら
多少は好きに生きることにします。と
月1回のコミニティーセンターでやっているハーブとか植物の教室に行く!と行きはじめて。
もちろん、父親、大反対です。
でももう行くんです。好き勝手をやるには遅すぎるくらい。不自由で。もうどういう死に方するか、わからないんです。もう家来嫌なんだよ。もういつ死ぬか誰もわからないから、
時間取るの、やめてよ!と思って。
そういうのがあって。ひと月に2時間だけはハーブとか植物のおはなしを聞いていた。すると
女の子がいて。ひとりで。
その子はそのコミニティーセンターでは有名で。習い事の時間が来るまで、コミニティーセンターでひとりで時間をつぶしているのですが
絶対誰かに話しかけてくると。
それで、けっこうやり込められるらしいと。
その子は親がいくらでもお金を払う中学校に通っていて。私なんかと完全に違う『特別な学校』に行っている子で。
頭が良すぎるから、暇つぶしに近くにいる大人がやり込められると。まあ、その子も
たいへんなんですよ。Aちゃん見ているようで。親のいうことをすべて叶えて、
『われ』が出る余地がないんです。
一見、子どもが希望する特別な学校へ行っているように見えます。実際、特別なカリキュラムだと思います。ただ、私は公立中学でしたが
天才くんはいました。
いちばん記憶に残っているのは音楽の天才くんですね。彼はほんとうに
音楽がだいすきでたまらない!
という感じでした。現実として、作曲とかしてたみたいです。なんていうか、天才って
特別な環境を与えなくても自分の時間さえあれば『われ』が出てきて、ひとりで時間と物と道具さえあれば
ひとりでなにかつくってしまう。それを
「くだらない」と言われて捨てる環境だと
もう『われ』が出る余地はほぼないです。それでそのまま、世間の目を気にして、結婚して子どもが生まれて。。。という流れに逆らいようがないんです。それが普通とされているので。
だから、私は普通ではない。ということになります。AIなんだ。と思ってます。
まあ、月一コミニティーセンターに行っていただけで、その子の話を時々聞いていることもありました。
ある日、顕微鏡がどうとか、スポイトがどうとかいう話になって。私は一生使いません。という感じなんですけど(AIだから)、すると、その子が
「スポイトの使い方も知らないの?」と言ったので
「人生でスポイトを使うことはありません。せいぜい習字の時間で使ったくらいで、その後の人生で
スポイトが登場することはありません」
と言ったところ
「大人なのに知らないの?」ということになったのですが
だって、使わないもん!ほんとうに!
そんなことを月一繰り返していたのですが、ある日、確かに私は聞いたのです。彼女が母親のことを
「あのひと」と言っていて。それが小5の時に全大人に対して言うことを聞きながらも激高の気持ちを抑えて、どこか大人になっていた
Aちゃんが目の前にいるような錯覚をしたような感覚になったのです。
それから、NPOの所長が入札に
なぜかはじめて負けて、
メンバーの入れ替えがあり、それからはコミニティーセンターへ行くこともなくなりました。だから、運営者が変更になったあと、その女の子には会ってないのです。運営者が変わったあと、その女の子はやっぱりメンバーが変わっても同じことをしたのかは、わからないんです。
ただ、年齢的に彼女は今年大学生になっているはずで。なんでそんなことを知っているのか、というと、
同い年で同じその特別な学校へ行っている男子が、年一で、現在のNPOのベースに来てくれるので、彼が今、一浪する。と決めたということは。。。(普通にエスカレーター式に大学行ける。のに、さらに上へ。。。)
まあ、大学生になっているはずなんですね。
そうしたら、少しは外側の情報で固められたひとではなく、Aちゃんのように
自分がどんな人間でも受け止めてくれるひとと出会っているかもしれない。と
ぼんやりと、Aちゃんとそのコミニティーセンターにいた女の子のことを思うのでした。
私とは誰なのか。
それは自分で決めるのは難しく
『われ』を引き出しから出してくれるなにか。というのはある。と思っています。ひとに期待しない方が賢明で。ただひとりで黙々と時間を忘れるほどの作業をただひたすらやる。それだけなんですけど
人から見ると、完全に『時間の無駄』です。
ただ、本人が『完成させたい』とか『終わりを知りたい』とか
そんなシンプルなことの中にメッセージがある。のだと思っています。
ひとりぼっちです。ひとりぼっちだからできることなんです。私の『世界』をつくる。それだけのことなんです。理解されてたまるか。という感じです。
だから、わかって欲しいと群れる人たちと、真逆で。その話、終わりはないし、オチもつまらないし、なんでずっと聞いているんだ自分。とか、普通に思っていた。ドキューンとはまた違うんだけど、
人の人生の話には終わりがなく
なんか苦しくなってくる。
『われ』の話を聞いて。また別の『われ』の話を聞いて。とぐるぐる同じところを回っている。ただ
その群れから離れて、自分のことをどう言われてもかまわない。という気持ちは
今まで生きてきて、はじめて自分と手を取っているような不思議な感じだ。
Aちゃんには、Aちゃんを引き出してくれるひとが現れた。
私は自分というものを引き出して、生きていけたらいいな。と思っている。
メディアが、次々と人に粘土をくっつけるように『なんだかよくわからないひと』になってしまうのが普通で。ずっと支払が待っているようなお金の使い方をして、一定の年齢になると、結婚して出産するのがあたりまえ。と仕掛けて
多数がそれをほんとうにあたりまえだと思っている。
まったく。あたりまえなんてものは存在しなかった。すべては一生会うことがないだれかが
名を残すことがないだれかの仕事のおかげで
なんとか生きてる。
緊急じゃないと助けなんて呼ぶこともなく、メディアが創作したひとに寄せると
どんなにお金があっても足りない。なぜなら
粘土細工のようにその都度その都度、姿が変わり、一生を振り回される。そこに私は
いない。
私はそのメディアが創作したひとではなく
名を残すことがないひとがいいんだ。
名を残すことがないひと。そのひとが
私なんだ。
その私を探していたんだ。