シャインマスカットの記憶

あの時の御礼を言わせてほしい。

2020年2月頃に日本にコロナウィルスが入ってきたように思う。COVID-19という名前は2019年に突然発生したコロナウィルスというような意味だった記憶がある。この時はたいへんだった。というのも

母の放射線治療に電車とバスを乗り継いで通院していたのが、この年の1月の話だったからだ。どうやら中国の武漢という都市において、コロナウィルスという謎のウィルスが発生したらしい。と、テレビでヨーロッパやオセアニアに感染拡大しているという情報だけが日本に入ってきていた。その頃は日本国内においては

空港封鎖なんてものは存在しない状態で。

こういうのが拝金主義とか、おめでたい民族みたいに言われてしまう部分だったように思う。日本は空港封鎖をしなかったので、どこでどういう経由で自分が謎のウィルスに感染するかわからない状態に国民が手放しで投げ出されたように思う。そんな中で、突然母の乳がんの治療をしている医師から

「ここの放射線治療はもう予約で空きがないから

他所で放射線治療をして」と

まるで他人事のように言われたのだ。酷い話だった。情報では、どうやら公共機関において謎のウィルスの感染の可能性はあるらしく、のちに会社はリモートに変わり、1日のうち外出は3時間以内にするように。という無茶振りも発生するのだけど、2020年1月は、まだ上陸確認がない状態で、ヨーロッパやオセアニアでは大量の大人が亡くなった。という情報だけがテレビで流れていた。そんな中でひと月ほど放射線治療のために遠くへ通院していた。

ただ、あの時は、日本に於ける感染者が確認できていない状態だったから、あの独特な村八分的なコロナ感染者差別の前で、タイミング的にはギリギリだったように思う。母の放射線治療が終わる頃に、春節がやってきた記憶だ。あの時の春節は、中国から逃げるように日本に避難しに来たような中国の方が多かったように思う。

空港を封鎖せず、わかりやすく金儲けに奔った日本国内にあっさりコロナウィルスは入ってきて、わかりやすく2020年の東京オリンピックは誰の目にも「いろいろ不可能である。。。」と自分や自分の周りの人の命に関わる問題に変わっていく。

それは生命という意味だけではなく、別の生命である経済という命も絶たれることになって行ったのは

拝金主義に奔って空港封鎖をしなかった結果、国民の命も、国民の経済も、どちらか或いは両方とも絶たれるという残酷な因果だったように思う。

あの時、どうすればよかったのか。少なくとも、他の国では空港封鎖をしていた国が多かったのは、政治家に国民を守らなければならない。という意図があったように思う。日本はどことなく政治家は特別階級の選ばれた人間だから自分や自分の家族はコロナウィルスに感染することはない。だから

どうでもいい。という感じは、正直あったように思う。

現実として、コロナウィルスに感染する可能性が高い職業は医療従事者であり、政治家ではない。

そして、医療従事者の家族に対する村八分的な差別がはじまり、コロナウィルスに感染した者は悪人だ。という、いろいろ問題がある差別行動がこのあと、次々発生していくのだけど、

人間の奥底にある真っ黒な部分を見せつけられたように思う。

私はこの頃には、まだ目と耳の中の激痛の謎の病には、まだ患っていなかったように思う。

以前に私は誕生日の前後2週間以内に風邪をひきがちである。という話を書いたことがあるのだけど、この時も普通に熱発してしまったのだ。この時は11月の下旬だった。

両親が出掛けていて。私の定住地は関東でどこからでも電車やバスに乗ってしまうと、感染経路が追えないレベルで、若者やツーリストに出会ってしまう。だから

どこでも、コロナウィルスに感染可能で。

そういうことを父親がテレビで学習してしまった結果として

より若者やツーリストと出会わないようなところへ、母と逃げ。。。いや、どっか行ってしまったのだ。。。

ひとりは慣れていたのだけど、たぶん暖房をケチったとか、そんな理由で、熱発してしまった。ただ、その時は熱発はしたけど

咳とか鼻水とか、そういうわかりやすい風邪症状はなく、ただの熱発だけだった。のだが、電話で自分が熱発した。ということを正直に話したところ、父親が

「おまえはコロナだ!もう暫く帰らないからな!」と

自分の親にコロナ疑惑村八分をされたのだ。自分なりにそういうのは

家の中でも
学校でも
慣れたことだと思っていたのだが、

うっかり傷ついてしまった。
もううっかりとしか言いようがない。

熱発してしまった。しかし、家には自分しかいない。熱発しただけで風邪症状といえる症状はない。Uber頼めるほどのお金はない。

深夜に買い出し行くしか、人に迷惑を掛けない方法が見つからない。

熱発して2日目の深夜に自転車に乗って、ポカリスエットとか冷凍食品とか、買い出しして。こんな深夜にスーパーマーケットに買いものする人いるの?という感じなんだけど

いるの!
2人とか3人とかだけど、いるの!
しかも

馴れ馴れしいの!

ほんとうは咳症状はないのに、マスクごしにわざと咳して、人間を散らして。

コロナ感染者だと、勝手に思い込ませるように仕掛けて、散らして。今も私は生きてるのだけど。別の問題で死にそうにさせられたけど。

家族に見捨てられ、とにかく熱を下げないと

家族の思い込みコロナ差別が止まらないので。

途中から「あ、困るのは私の方じゃないんだ」と気づいたのだけど、とにかく熱を下げるために、惜しみなく暖房を使うことにした。

少ない友人に
『実は熱発してしまった。今のところ、風邪症状といえるものは熱のみ。家族は私がコロナだとテレビに情報操作されたため、どうにもならないやつ』と、簡単なメールを送った。すると

『食べるものはある?』

『うん、大丈夫だよ。深夜に自転車に乗って冷凍食品とかいっぱい買ってきたから。どうにかしたよ』

『明日の夕方にお見舞いに行っていい?』

『いやー、最悪なことを考えたら、誰にも会わない方がいいかと』

『なにか食べものを』

『大丈夫だよ。深夜のスーパーでガッツリ買ってきたから』

それでも私の友だちは忙しい仕事の中、私の家まで来てくれた。両親が「おまえはコロナなんだ!」と見捨てた私の元へ。

お互いマスクをして、友だちはおみやげを持って来てくれた。「栄養つけてね!」と、スーパーの白いビニール袋を渡された。

「わざわざ、どうもありがとう」と

家の中に入り、スーパーのビニール袋になにか包まれいた。フルーツ柄の紙に包まれたものは

りんごとシャインマスカットだった。

スーパー独自のブランドの高いやつだとすぐにわかった。忙しい仕事をしているのに。わざわざこっちまで来てくれて、こんなに高いものを。

だから、私はお金の力を否定できないタイプなのだ。

シャインマスカットは、その時は旬から外れていたはずで。

水道でシャインマスカットを洗いながら、涙を流し、3粒皿に出し、残りは冷蔵庫に入れた。

長い人生で、そもそもマスカットがあまり家庭に出てくるということがなく、人から頂いて、はじめてマスカットの味を知ったように思う。それからシャインマスカットが世の中に出ると、世界規模でシャインマスカットがパクられる。というあまおういちごの二の舞の事態が発生し、あまおういちごもシャインマスカットも権利を守らなかったことと、日本人の人の良さから、そのパクり以前よりも、庶民でも『がんばれば買えるレベル』まで値段が下がったように思う。だけど、それでも年に1,000円レベルまで値段が下がらないと食べることはできない。私の家で、年2回食べられるか?という感じだ。

あの時のひとりぼっちで泣きながら、熱にうかれながら食べたシャインマスカットは、ほんとうにみずみずしく、あまく、そして涙の味がした。今のように大気汚染にやられる前で、味覚は今よりまともだった。

私は今、次々に通院する事態に巻き込まれてしまい、この先のことがまったく見えない。ただ、私はコロナウィルスではなく、アクリル酸ガス汚染による後遺症で、次に何科を受診し、通院することになるか、いろいろわからない。そんな中で

友だちがいちばんかどうかは、まだ答えとして判断しかねる部分はある。その人がほんとうに友だちかどうかは24時間監視しないとわからないからだ。

ただ、私は友だちの数が少ない。悪口を言われてもかまわない。だって

親からコロナ判定を勝手にされて、見捨てられた私に、わざわざりんごとシャインマスカットを忙しい中、買ってきてくれたのだから

あなたを信じてるから、どんなことを言われようと、私は

「ありがとう」の言葉しかないんだ。

私はこの先、からだじゅうが模様だらけになってしまったこの状態が治るのか、治らないのか、ほんとうにわからない恐怖の中で、医療を受ける。という選択肢しか選べない。

生きてはいる。
でも、気落ちは止まることはない。

あのコロナウィルス騒動に比べると、たいしたことではないかもしれない。まだ誰も知らないことだからだ。

たぶん、日本におけるコロナ騒動において『なぜかアクリル板を立てると、コロナ感染を遮断する(という気持ちになる)』ので

入れ喰いにアクリル板を立てるとカネになる!ということだったのだと思う。

アクリル酸ガスにおける法律が日本に存在しないので、カネのために誰かれかまわず、アクリル板を立てることで

成功体験として、現実的にカネになったのだろう。

私は拝金主義者に殺されかけ、この先も保証がない。きっと、どこかに私のような重症者が存在しているはずなのだ。

2階に住んでいる。とか
自転車で配達の仕事をしていた。とか

体調不良の原因まで、たどり着くことができないでいる人がいるはずなんだ。

天才から聞いたところ
「絶対その2ヶ月半の間に

救急で運ばれた人がいるはずだ」という話だった。

原因にたどり着くどころか
「毒性はありません」という言葉に騙されたままの人がどのくらいいるのだろう。

シャインマスカットの話を書くはずが、こんな現実に巻き込まれてしまったことが残念でならない。

明日が見えない。だから、友だちに
『あの時のシャインマスカットは

一生忘れられない味だ。ありがとう』と

それだけのことを記録として残したかった。
どんな媒体であれ、私は数少ない友だちに対して

感謝しかない。

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