先生を教育したひとと遊ぶ

学校の先生という職業がある。
今、私は中学校の先生を大学で教育した人と週一くらいのペースで、お会いしている。

簡単に言うと、自分の親とあまり年齢の変わらない方が中学の先生を大学の教育学部で教えていた人、ということになる。

家でも学校でも「おまえはできない」「なんでわからないんだ」とポカポカ殴られていた私としては不思議な御縁なのである。

ガチな教育者って、わからないことや失敗には怒らないんです。私はよくコーヒーメーカーからカップにコーヒーを注ぐ時、よくこぼすのですが、故意にこぼしているわけではないので、怒られないのです。これが自宅や会社だった時、目ざといやつと失敗をおかずにごはん食べるようなバケモノが嬉々として怒ります。小学校の先生とか中学校の先生は、牛乳瓶落としただけで相当怒ります。「もったいないじゃないか。世界には牛乳を飲めない人もいるのに」という感じなのですが、

わかりました。ごめんなさい。
では、先生が床にこぼれた牛乳をすすってください。世界には牛乳を飲めない人がいると教えてくださったのは

先生です。
君なら出来る!松岡修造!的な!

。。。ほんとうは怒られることって、よっぽどルール違反をしなければ、あんまりないんですよね。よくよく考えると、大人が子どもに対してストレス発散で打ってる場合って、多めのように思います。私は3歳になる前に祖父が他界しているのですが、コップから飲みものを倒してしまう度に怒鳴られていました。恐怖で泣いていましたが

それは怒鳴るほどのことではないような。。。

コーヒーメーカーですが、先日「コーヒーメーカーからコーヒーが溢れる原因は、やっぱりフィルターの蓋は外さないとダメみたいです。これからは蓋を外しましょう」と教えてくださいました。結局、誰がコーヒーを淹れても溢れるという。。。

家だったら「おまえが悪いんだ!」で悪者扱いですね。以前20年以上使っていた洗濯機が壊れたことがあり、たまたま私が使っていた時に回転しなくなったのですが、業者を呼んで「寿命ですね。メーカーの生産時期からすると長く使っているし、部品もないやつで、白物家電の寿命は7年だというのがこの業界なので」と説明してくださっても、父親は

「いや、悪いのはこいつだ。こいつが使った時に壊れたんだからな!」
昭和が過ぎる。。。でも、まだマシ。何故なら、こんなのが

3人いたから!ひとりなら、全然大丈夫!!

けっこう『私という人はいません』的な行動は昭和スタイルには堪えるらしく、透明人間という設定の元で、ごはん作ってもどっか行っちゃうとか、帰ってきても「ただいま」と言って、自室とか風呂とか、やることはやっつけて、どっか行っちゃう(一応、家のどこかにはいる)と、昭和スタイルは

突然不安になるらしい。家の中にはいるんですよ。

『孤独になることがわからない。支配する欲がドイヒー』という感じです。

教育者は、やっぱりお金とは遠い感じです。印象に残る人になるには、自らがポジティブな行動を起こさないといけない。そんな感じです。だから、ご本人が

よく失敗してる。。。

ほんとうの教育って、一生つづく。一生なにかを学びつづける。だから、良い大学出たで終わる人は違うみたいです。良い大学出た!良い企業入った!で終わると、ちーん。みたいですね。

私が今会っている方は、たまたまなんですが、今の朝ドラのモデルの牧野富太郎氏の弟子から教育を受けたみたいです。年代的に牧野氏とかぶることはないのですが、牧野さんは背広とかちゃんとした服装をしていても、野原で土に。。。という話は有名らしく、牧野氏が学歴が複雑だったので、お受験が大好物な人のような「底辺が!」とか「ばかですね!」とか「偏差値が低い学校出身!」とかそういう一方向しかものを見れない人には興味がないようです。それはそもそも生涯学習とは違うので。

すべての人の背景は違うので。

恵まれたひとがいる。一生涯恵まれた生活を送れるかというと、そうでもないというのが実情でしょう。恵まれないひとがいる。一生涯恵まれないかというと、

それは違うような。。。どこかで悪夢を見はじめたことはあったとしても、夢から覚めないといけないような。。。苦しい苦しいと思ったら、なにかできることから、はじめられることがあるような。。。

それがお金とすぐに直結しないことでも、なにかあるのです。

事業所が変わって、けっこう年数経っている建物に変わりました。私は新参者ですから、以前の良かった部分がよく理解していないので、場所や建物が変わったことで来なくなった人がいると聞いて、

「外からです。ここは庭を持っている。人は家の外が汚いと必ず悪く言われます。

逆に全力で庭をきれいにすれば、わかりやすく褒められます。

ここは庭からです」

。。。現在も開拓はつづいていますが「きれいになった!」と言われます。運べる石はすべて運んで、手を入れられるところは手入れして、こんな誰にでもできることを素人でも本気で行うと

心は動く。

周りの見る目が変わる。すると、私の評価が変わる。不思議だ。やれることは限られているのにつづけていると、道具が来たり、食べものを頂いたり、お返しの品をなにか作ったり、金銭はまだうまく動かすことができなくても、

明らかになにか展開しているのです。

それはお店に入店する時に「こんにちは!」と言い続けるだけで、お店に顔を覚えてもらってステキなサービスを受けることがある。そんなことに似ている気がする。

それは『絵の中の人になる』ことに似ている。

thank you!

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