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金色の「本の小部屋」

アドベントカレンダー企画「私の一冊」への参加で寄稿した記事です。


 私は自身の読書傾向を「アンデルセン生まれの鏡花育ち」といつからか称しているのだが、憧れる景色は北欧でも北陸でもないらしい。
 ボートを漕ぐ柔らかな黄金の昼下がり。
 雑多な本に埋もれ金色の塵が舞う本の小部屋。
 灰色の空に覆われた霧の都の国の、金色の世界にずっと夢を見ている。

 イギリスには昔から、少女のファンタジーがあふれた国という印象がある。流行最先端で元気いっぱいというよりは、余所行きのワンピースにおめかしをしてちょっとおすまししているお嬢さん、というか。
 アリス、プーさん、ピーターラビットに、野ばら村のねずみたち。幼少期から好きな物語はだいたいイギリス生まれだ。
 私は江戸時代で時が止まったような、雨の多い雪国の街に生まれ育っているものだから、幼いながらになにか馴染みやすいものを読み取っていたのかもしれない。ロンドンの映像などを見ていると、あのひんやりしてそうな薄暗さにそこはかとない親近感を覚える。 
 さて最初に憧れの景色を二つ挙げたが、「黄金の昼下がり」はルイス・キャロルによる、かの有名な『不思議の国のアリス』に掲げられた詩。
 「本の小部屋」はエナリー・ファージョンの児童向け短編集のタイトルであり、また彼女が前書きのなかで語る思い出の部屋のことである。

 ファージョンが子供の頃に住んでいた家は、あちこち本だらけだったという。どれくらいかというと、本がないことより服がないほうが自然に思えるくらい。
 そんな家のなかでもさらに特別なのが「本の小部屋」。他の部屋には入りきらない、ぎゅうぎゅうに本が詰まった棚が文字通りに所狭しと、それはもう雑多な種類の本たちが床から天井まで積み上がり、窓にももたれかかって雪崩を起こすとか。この部屋で夢中になって読んだ本たちが、自分に物語を書かせているというようなことを、ファージョンは述べている。
 すすけた窓から入る光がほこりにきらきらと踊るなかで、様々な時代と世界の、花や、王や、詩人たちが魔法のドアを開けてくれていたのだと。

 「本の小部屋」のおはなしたちは、どれもそれぞれ好きなのだが、なかでも私の一番のお気に入りは「月がほしいと王女さまが泣いた」だ。
 ある晩、ふと月がほしくなった王女さまは、ひとりで城の屋根に出る。当然、月に手は届かず今度は煙突へ登る。それでも月が手に入らずに泣いていると、コウモリやツバメがやってきて、王女が泣く理由を尋ねていく。「月がほしい」と泣く王女のため、やがて昼も夜も海も時間も巻き込んで空が大騒ぎになっていく。
 一方そのころ地上では、城から王女が消えたとこちらも大騒ぎ。国中の人が逮捕されるし、みんなボイコットするし、他の国たちが攻め込んでくる事態にまで発展する。
 天地がそれぞれ大騒動になっているところで、王女様が泣き止み城の中にもどってきて、はい、めでたしめでたし。
 という話。
 ……いやこれめでたしなんだろうか。ちょっとわからないけど。
 『不思議の国のアリス』を読んでいる方はわかるだろうか。あのずっと首を傾げ続けてしまうような、あの感覚。王女さまの行動のおかげで、世界中のありとあらゆるものが大騒ぎをしているが、読者の心も疑問符がずっと大騒ぎである。なにしろ起きていることすべてがあべこべだ。
 まあでも、「月」のことは解決したし、王女さまは満足げだし、太陽は登り月は沈み世界は普通に回っているからめでたしということで。
 イギリスの児童文学は、そういうところがある。
 そういうところも含めて、私は彼の国の文学を愛しているし、「本の小部屋」も全篇通してナンセンスの風が吹いているあたりが好きなのだが、私がこの王女様の話を特に気に入っている理由は別にある。
 おさわがせ王女さまの態度だ。

 屋根から戻った王女さまは、城から勝手にいなくなったことで、乳母に叱られ、父である王様とはひとつ約束をすることになる。もう二度と月をほしがって泣かないこと。泣いてほしがっていたのに、王女さまは「ええ、わかったわ」とあっさり承諾。月をほしがらない理由を一応は話してくれるが見事にけろりとしている。そもそも乳母の話も王様の話も聞いているのかはとてもあやしい。少なくともきっと反省はしていない。
 だってそのあとすぐに続くのは、「晩のごはん、なに?」である。
 いくら物語とはいえ、大人なら膝から崩れ落ちそうになる。
 もっとも、王女さま本人は世界中で何が起きていたのか全く知らないから、当然といえば当然なのだが、飛んだ大騒動の後、思わず脱力して天を仰ぐこと請け合いだ。
 しかし幼い私はもうこの王女さまに拍手喝采なのだ。
 思いついたらほしいもののために煙突にまでのぼる行動力。大人にも物怖じしない堂々とした態度。
 なぁにこのプリンセス、かっこいい!
 王女さまは月と一緒に、親の顔色にもびくついていた東洋の島国の少女の心も掴んでしまった。

 ファージョンは、自分の心にも「本の小部屋」が巣食っていて、金色のおとめたちがほこりをはらいにやってくるのだと書いている。後になってもたまに、金色のあかりをともしに来てくれるのだと。
 失敗ばかり数えているとき。やりたいことに踏み出せなくてうじうじしているとき。薄暗くなった私の心には「本の小部屋」から、月をほしがった王女さまがおりてくる。
 そして思い出す。自分一人が何をしたって最終的に世界は回る。私が何かほしがっても、夜に太陽が昇るとか、時間が逆に回るとかたぶんない。なにより王女さまが月をほしがって何が起きたか、国中の人たちみんな忘れていったじゃないか。
 そうして私の部屋に金色のあかりをともし、銀色の丸いお皿を持った王女さまは言うのだ。
「晩のごはん、なに?」と。

参考:ファージョン作、石井桃子訳『ムギと王さま 本の小べや1』岩波書店、2001年

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