橋の女
人通りの絶えた真夜中の橋を、女が歩いている。
歩道に沿って点々と降る街灯に、ヒールサンダルの白い光沢があらわれては消える。両腕を下げたまま足だけを淡々と前に出す細身のその女は切羽詰まるというふうではなく、むしろほんのりと安らいで、眠れずに寝床から起き出して夜風にあたりにきたようなくつろぎさえある。やがて緩いアーチを描く橋の中心までくると、女は胸ほどの高さの手すりに軽く指を乗せ、長い間うつむいたままでいる。暗闇の底に流れているはずの川面からほのかに淀んだ水のにおいが立ちのぼり、ときおり川上から渡るぬるい風を受けてほんのりと安らいだ顔の、わずかに開いた唇の隙間から覗く歯が、濡れて光っている。いつまでそうしていたのか、やがて空の端から白みはじめ、その気配に無人の街が息を凝らすように静まると、女の姿はすでにない。ただ白く細い足首が、いっとき宙にふりあげられたその影だけがかすかに残っている。薄闇がゆっくりとほどかれ、立ち込める朝靄の奥から陽が差し込むまでのわずかな間、橋の上はひっそりと静まりかえっている。
・・・・・・ここまで話すと彼女はしばらく口をつぐみ、わたしはこの景色を、たしかにみた気がする、と声を潜めてつづけた。もしかしたらそれはわたしが生まれる前の、それともいつかおとずれる未来の、姿なのかもしれない。ただどうやっても、そこから逃げられない、それだけがわかる・・・・・・自分に言い聞かせるように呟くと、彼女は仄暗い天井をみつめて、組んだ両手を腹の上に置いて、朝が来るまで黙っていた。
私はときおり暗闇の中で目を見開いていたその横顔を思い出す。そうして、夜が明けるたび橋から飛び降りる女の影と、冷たく濁った水中からそれをみあげる真黒い眼窩の深さを考える