インターステラーの感想

(感想と題しながら、自分を顧みてたりしてるので、感想兼ジャーナリングみたいになってます。考察ではないのでご了承ください。)


科学的考証に基づくゴリゴリなSFで始まったこの作品。重力....宇宙......。普段触れないモチーフに圧倒されて、先の読めないワクワクな展開に、とても期待をして観進めていました。人類を救うために、最善策はどの星なのか。ハラハラしながら見ていたのだけど、アメリアが愛の話を持ち出した時に、「あぁ、これ、SFじゃなくて愛が人類を救う的な話なのか....」ってちょっとがっかりしました。

あれだけゴリゴリにSF感出してたのに...。
相対性理論とか重力とか宇宙とか、私が触れてこなかった分野の話が出てきてわくわくしてたのに、結局そこに着地するのか、って。
みなが感動する映画にしちゃったのかって。

ずっとゴリゴリでSFをやっていてほしかった私としては、途中生き残りたいっていう人間的なエゴで蹴落とし合いをはじめられたときは、正直、醜いなぁって観てられなかった。

はじめてノーランさんの作品にふれたのがインセプションだったから、夢にはじまり夢で終わるあのきれいにまとまる(と私はそう感じた)話を期待してたのに、展開が急に変わってしまってついていけなかった。

ラストでも結局、エドマンズ博士が発見した惑星の方が生存できる環境だって描写されたときは、「やっぱり愛が勝つ的な話が本筋なんだ.....」ってもう1回がっかりしちゃいました。

でも何でがっかりしたのか、自分でも不思議だった。
私にとって"愛"は人生をかけてずっと考えていきたいテーマのひとつなのに、なんでこの映画でその話を持ち出されるとがっかりしたんだろうって。

だから考察も読んだ上で、数日考えてみた。
結局この疑問に対する明確な答えは今も出てないけど、でも考えた分、この映画に対して別の見方もできたから、頑張って文章にしようと思います。



考察では裏テーマって言われてたし、
私も途中から「何でこんなヒューマニスティックな展開になってるん?」って思ったけど、よくよく見返したらこの話って割と最初から愛の話----ううん、人間としてなにかを/誰かを強く思う気持ちが軸になってるのかなって思い直した。

だってそもそもクーパーが宇宙へと発ったのは、人類救出と同じくらい(いやそれよりも)、家族---最愛の娘を助けたいという気持ちが大きかったわけで。

裏というか、本筋が2つある話なのかな。
そう思ってからは、科学的考察と愛の話にとても深く密接した関係があるのかと思ってかなり考えてました。
(でもこれは後でも話すけど、アメリアのセリフそのままでいいのかなって落ち着いた。)

マン博士が見つかった時も、彼は「孤独に耐えられない。生きていたい」っていう生死の淵で強く思った気持ちから信号を送ったわけで。
マーフィーが父を諦めようと思っても諦めきれなくて、最後まで信じる気持ちをもっていたからこそ、教授とは違い地上にいる人類を見放さなかった(=人々を救出したいという思いがあった)からこそ、あの展開にもなったのかなって。

マン博士が言うように、きっと人間の進化はそこまでで、人間は人間を超えられない。
けどだからこそ、その欲みたいな強い思いが、なにかを変えるきっかけになるのかなって。

だけど、変えることはできても、救うことはできない。
救うためには他の条件も必要。
それが、自分ではない、誰かを強く思う気持ち。
それは、ブランド教授の最後やマン博士の死で表されてるのかなと思った。

結局、今生きている人たちを犠牲にしてまで責務として、または個人的な生の執着から、個体ではなく種としての存続を考えたプランBよりも、誰かを強く思う気持ちで(例えそれが自分に近しい人を救いたいという個人的な感情を出ないものだったとしても)、人類を救おうとしたプランAが成功しつつあるラストを見るとそうなのかなって。

そう思うと、
最初あれだけゴリゴリに科学していたのも、
この人間的なドラマをより印象深く見せるためなのかなとも思えてくる。

あと、宇宙という広大な場所を舞台として、そこで愛を語ることで、愛は宇宙のようなものだと、理論(数値)では表すことはできないが、観測できるものなんだという考えが、ある意味説得力を持つのかなと思った。

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でもそれは別として科学分野の話は面白かったなぁ。
相対性理論とか重力とか、きちんと理解できているわけではないけど、高次元の存在は下の次元に干渉可能とか特に。

今後、私生活で突然物が落ちてきたりしたら、「5次元からの干渉か!?!?」って思っちゃいますよね。(?)

見えない存在者がいて世界に介入してくる
っていうのはモチーフとして割とあるけど、科学的に高次の存在からの干渉(おせっかい)っていう発想/ああいう演出ができるのは、やっぱり科学的な知識が根底にあるからできることですよね。あぁ、やっぱり頭が良いと、知識が豊富だとアイデアの幅も広がるんだなぁ。

純粋にストーリー以外でも、
演出方法とか使われているモチーフからも、
私ももっと勉強したり色々なものを見たりしないとなぁって改めて姿勢を正すこともできた。
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見返してて思ったけど、
これだけ科学的な話をしておきながら、
人類救出の最後のキーが、
直観や自分の心に素直になること、なんだね。

あぁ、たぶんそれが私がこの映画を観て、最初受け入れられなかったところなんだろうなぁ。

私、たぶんこの映画に、まったく新しいものを期待してたんだと思う。
自分の中にまだ無い、それでいてこれまでの価値観を覆してくれるなにかを期待して観てたんだと思う。

でも結局最後まで観てみたら、
この映画の中でキーになっているものは、
誰かを強く思ったり、信じる気持ちだったり、直観に従って行動することだったり、
私の中で既に大事にしたいと思っていることだった。

結局、人間が"人間として"目指すべきところはそこなんだって、思いもよらなかったところから啓示された様な。

インセプションは最初から夢とか無意識とかが題材だって分かってたから楽しんでみれたけど(余談:この辺私が好きな領域だからすごくハマった!)、インターステラーはゴリゴリSFだと思って観ちゃったから、観る前の期待が裏切られてがっかりしちゃったんだと思う。

あ、答えが出ましたね。
そういうことだったらしいですよ、数日前のわたし。何に対しても思い込みが先に立つのはよろしく無いですね。きちんとそれをそのまま受け止めるようにして観ないとね。(5次元にいる私が何かしらの信号を過去の私に送って届けてくれることを期待しながら)

でも今は、自分の期待は置いておいて、愛がテーマなんだってことを受け止められたし、インセプションに続き、この作品でも自己を見出すことができて、自分が何に重きを置いて生きていけばいいのか、改めて向き直ることができた。
それが世の中のためにならなくても、
何の形にできなくても、
自分が大事にしたいと感じたことは、やっぱり大切にしていいらしいですよ、私。


アメリアが、愛は観測可能な力って言っていたけど、もしアメリアの言う通り、愛が観測可能な未知の力なんだとしたら、どうやってそれを伝えたらいいんだろうね。

(映画の中では、必ず帰ってくると約束した時に渡した時計によって伝えられていましたね。)

そばにいるときに、
互いを見つめ合うときに、
肌がふれあうときに、
私、この人のことが好き、
あぁ、この人、本当に私のこと想ってくれてるんだなって。
感じるときはあった。

私、それは熱なんじゃないかってなんとなく思ってた。
熱量が多い気持ちは、自分の体からはみ出して温度として相手に伝わってしまうんじゃないかって。

でも、そうじゃない、ささやかな愛はどうやって感知すればいいんだろう。

物心ついたときから、愛は人間にとって必要な、真剣に向き合うべきテーマだって考えてて、これまでも何度か愛を定義してみたことがあるけれど、どれもしっくりこなかった。だからいつか自分なりの言葉で表したいって思っていたはずなのに、最近そういうことを考える時間が薄れていたことを、この映画のテーマが愛だということを受け止められたことで気づくことができた。

いつか、私のことを好きになってくれる人に、私の愛はこうだよって示せるような、銀河や次元を超えても届くような愛を抱えられる、深みのある人間になるために、これからも色々なものに触れて考え続けていきたい。

そしてさっき何の形にできなくてもって言ったけど、そういう自分の内側を、なんらかの形にできるといいな.....していきたいな!

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