豊作の時に。 〜不毛の日に備えて〜
穀物、野菜、果物...。
畑の食物は、その年その年で収穫量に差が出ますよね。
農業に限らず、第一次産業 (農業・漁業・林業) においては、
その年の気候だったり、害獣だったり、
人間にはどうしようもできない何かが起因となって、
豊作になったり、不作になったりします。
__私たちの人生にも、同じことが起こります。
仕事で成功し、売り上げは右肩上がり... の時もあれば、
災害や病気などで商売自体が出来ない時もあります。
人間関係においても、
なぜか友達がめちゃめちゃ出来る時もあれば、
誤解が誤解を生んで、友達がみんな離れていってしまう時もあります。
人生には、何かしらで「豊作」のときと、「不作」のときが訪れます。
どちらかと言うと、
「不作」の時ほど、人は祈りやすく、救いや助けを求めやすく、知恵も働きます。
しかし意外と多くの人があまり考えていないのが、「豊作」の時にすべきこと。
実は、「豊作」の時にこそ忘れてはいけないことがある、と聖書には書かれています。
私は、貧さの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。
また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも貧しいことにも、
あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。
__ ピリピ人への手紙 4:12
「豊作」や「成功」は、神様からの溢れるばかりの恵みです。
しかし豊かな時ほど、私たちは神様を忘れてしまう弱さがあります。
貧しさも富も私に与えず、
ただ、私に定められた分の食物で私を養ってください。
私が食べ飽きて、あなたを否み、
「主とはだれだ」と言わないために。
__ 箴言30:7-9
豊作の時 (人生が右肩あがりの時) ほど忘れてはいけないのは、神様の存在です。
( ※だから富を与えないでください、と祈るのは行き過ぎなので注意してね。)
パウロにも豊作の時がありましたが、しかしパウロは豊作に対処する秘訣を心得ていました。
パウロは神様を忘れることはなかったのです。
では、私たちが「豊作」の時にすべきことは何なのでしょう。
旧約聖書から、その一つを紹介します。
【創世記41:29-36】
今すぐ、エジプト全土に七年間の大豊作が訪れます。
それから、そのあと、七年間のききんが起こり、エジプトの地の豊作はみな忘れられます。
ききんが地を荒れ果てさせ、この地の豊作は後に来るききんのため、跡もわからなくなります。そのききんは非常にきびしいからです。
それゆえ、パロは、さとくて知恵のある人を見つけ、その者をエジプトの国の上に置かれますように。
パロは国中に監督官を任命するよう行動を起こされ、
豊作の七年間に、エジプトの地に、備えをされなさいますように。
彼らにこれからの豊作の年のすべての食糧を集めさせ、パロの権威のもとに、町々に穀物をたくわえ、保管させるためです。
その食糧は、エジプトの国に起こる七年のききんのための、国のたくわえとなさいますように。
この地がききんで滅びないためです。
「豊作」の時にすべきこと、それは、不作の時のための、「備え」です。
創世記41章には、イスラエル人アブラハムのひ孫にあたるヨセフが、エジプトに奴隷として売られ、牢獄に入れられてからの大逆転劇が記されています。
「これからエジプトに、7年の豊作の時が来る。
しかしその後に7年間の大ききんが来る。
だから、豊作の7年の間に、次の7年に備えて、食糧を蓄えておきなさい。」
これが、豊作の時にすべき、一つのプロセス。
人生はいつも豊作、というわけには行きません。
今が右肩上がりでも、それが長年続いていたとしても、
ある日、思いがけない時に、ききんの時が訪れます。
私たちには、ヨセフのような預言者がいるわけではないので、
いつその不作の時が来るのかはわかりません。
ヨセフの時代、世界中の人がそうでした。
世界中の人が突然の大ききんに困惑し、大パニックが起こりました。
しかし、ヨセフとエジプトは、その日が来ることを知っていたので、
「たくわえ」がありました。
エジプトには、世界各国から食糧を求める人たちがやって来たのです。
そうです。
豊作の時に「備えて」おけば、不作の時を乗り越えられる、
だけでなく、他の人を助けることさえできるのです。
その豊作の時の備え方には、いろいろなやり方があったでしょう。
「たくわえる」とは言え、豊作1年目の時の食糧を、7年後まで残しておくには、それを加工しなければなりません。
それから、不作の年は7年間。
それだけの年数分、エジプト全土に住む人口分の食糧をたくわえるには、
それ相応の場所が必要となります。
そのためにヨセフは、"監督官" さえも備えさせました。
不作の時に備えて、豊作の時にすべきことは山ほどあります。
ただ豊作を喜び、感謝し、恵みを噛み締めるだけでは足りません。
もし今自分の人生が「右肩上がり」でも、それではまだまだ成功者とは言えません。
豊作の時には、やがて来る不毛の日のために備え、たくわえ、
たとえ不作の時を迎えても、まわりの人を助けてあげることができる。
そうなって初めて、自分の人生を「大収穫人生」と呼べるでしょう。
自分は何を、どうのように備え、どのようにたくわえ、
やがてどのように人を助けることができるのか。
豊作の時には考えてみてください。
( ... なんてことを書いている私は今、不作も不作、大凶作なんですけどね。)