人もねこと等しく愛される存在である。
自分だけは自分で愛そうよ。
私自身も思っている事だけど、最近の若い女子たちでバズってるアカウントが発信されまくっている。
一応22歳の最近の若い子に入る部類だから周りの子達を見たらやっぱり自分を愛せる人がいないような感じはする。
誰にでも等しくチャンスを貰える社会になって自分やそれよりも若い人たちの活躍が日常で見るようになり、その人と自分と比べてしまう人や
環境や性格から自分を好きになれない人
自信満々だったのに打ち砕かれた人
たくさんの人がいた。
基本的に女の子にすごいその感じが何となくただよっていて、ただ男の子にモテる子達は男子からの愛で自分を愛せないからこそそれを満たしてる印象だった。
ビジネスや人生を頑張ろうと思っている女の子が増えてきて、実際矢面にたって動いてる子達って目立つけどそんなに居なくてどこか弱かったり、必死でいいきかせてたってたりしてる。
気が元々強い子達は動いてない他者と自分に線を引っ張って自分はすごいと自分を愛し、
逆に気が弱い子達は潰れていってる。
そういうのを沢山見てきた。
でもやっぱりそのどちらも自分への愛は他者の介入に依存しているのは事実で、自分の世界だけでは決められないのだなとはずっと感じている。
たしかに、自分の主観という基準も曖昧な部分で自分を愛せというのは難しいかもしれない。
自分のダメな部分も知っているから尚更。
でもよくあるじゃないか。
完璧じゃないものに人は惹かれる。
完璧超人が結果を残したとしてもそれは"当たり前"と周りが評価する。
でもみにくいアヒルの子が大人になって白鳥になったら"すごい"と周りが評価する。
求めている他者の評価が欲しいのであれば欠点がある方がより良い評価を貰えるということだ。
でもそう聞くとなんか違う…そう思う人もいるだろう。
白鳥にみせたところで心はみにくいアヒルのままだと。
ん〜そう言われると難しい。
結局そうじゃないとか、君は今のままでもいいよって言われたいだけなのかもしれないと。
つまり、自分を愛する理由とか愛せない理由とか正直そこまで大事じゃなくて
何らかのことで行動して動けてる。
会社行ってえらい!
朝起きてえらい!
今日も1日頑張った!!
そんな自分を愛したらそれでいいんだよって私は言いたくて。
猫が生きてるだけで可愛い〜って可愛がるみたいに、私も生きてるだけで可愛い〜って思えばいいんじゃないかなって。
他の人は〜とか評価が〜とか結果が〜はいわばオプションだと思ってて、普通に過ごしてるだけでも私たちは全て等しく愛されるべき存在だから少なくとも自分は自分を愛してあげよう。
それが他者から言われないと納得できないのだったらいくらでも私が代わりに言う。
あなたは偉いし頑張ってるし素敵な人だよって。
寝転んでる猫を見て幸せになるようにあなたを見てみんな幸せになるよって。