見出し画像

母性のない女はダメな母ですか?

私には多分、母性は少ない気がしています
あくまでも自分で感じることなので
不確かさはありますが

母性という言葉を調べてみると

以下、コトバンクさん参照です
[ 母性とは本能的に女性に備わっているものではなく,一つの文化的・社会的特性である。略 ]

とありました
また、人間形成過程における母親との関わりによって、母性というものの個人差がある、ということも書いてあります

『母性神話』というものがあって
もしかしたら多くの母親という役割を担う人は
この母性や母性神話というものに
まるで呪いのように縛られていないかな
そんなことを感じています


私の仕事は幼児教育現場で
その母性や母性神話に呪われているような
そんなママたちを割と頻繁に拝見します

母性って
そんなに求められるものなんでしょうか?
母性がない母親は
母親として失格または、駄目な親なんでしょうか?

私は仕事場で
長が付く立場の役割を担っていますが
母性については重要視していません

母性があるか無いかの前に
ひとりの人間としての方がよほど大切だと思うのです

しかしながら世間では、社会では
殊更に母親なるものに母性、母乳、子育てという
まるで子という存在のために
その身を賭して、捧げて、尽くすことを求められている
そんな風に感じます

私自身の子育ては母性愛を献身的に注いで来たかと言うと、母性ありません、献身的にしていません
献身さも恐らくは皆無です

幼児教育現場で長が付く立場の人なのに、母性が無いんですか? と聞こえて来そうですが
多分、恐らく私は母性は少ないか又は無い方です

それでも4人の子育てをしてこれたのは
前夫や今夫の母たち、それに私の実母、そして保育園の先生たちというパワフルな存在があったからだと思います
もちろん前夫も今夫も育児、家事ともに頼めば出来る範囲で何でもしていました

お母さんだから
幼児教育現場で仕事をしているから
そういういわゆるガワみたいなもので

子どもが大好きであるとか
母性豊かであるとか
そういうある種の文化的な社会的なものの見方というものに対して
偏見という言い方も出来るのではないかなとも思うのです

偏見と言うと、差別的なイメージがあるかもしれませんが、偏見
つまり文字の通りで偏った見方、と言うことです


私の育児について
4人の子育てをして来ましたが、子育て論を語るほどのことは何一つ出来ていません
だから語りません

働いていたし、今はもう成人した2人の子が小さいころに会社を立ち上げたので
前夫の父母に1ヶ月預けっぱなしだったこともあります

母乳も出なかったし、離乳食なんてほとんど手作りしていません
平日は仕事なので週末は疲労でただただ眠くて
近くの公園に遊びに連れて行くことも叶わなかった
週末は、翌週からの仕事のための体力回復が優先でした

成人した2人の子たちは発達障害なので
外遊びは必須なくらい動き回るのに
歩いて数分の公園にも連れて行くことが出来ないくらい
週末は疲労困ぱいでした

それでも子どもたちを想う気持ちだけはありました
物理的な育児は落第点だったと思いますが
子どもを想う気持ちに関しては胸を張れます


ママとして落第点な私ですが
子どもたちはどんな人になったかと言うと

大学受験を高校入学から視野に入れて
高校3年間、コツコツと日々を過ごした子

そしてもう1人は
自分の財という才能を早くに見い出し、社会に出て自分の能力を活かすには何を専門的に学んでおくか
それを見据えて専門学校を選んだ子

私はこんなに落第点だらけの母でしたが
子どもたちの持って生まれているであろう
才能とかその子のパワーのようなものを
ただひたすらに信じていました


私は子育て論は語れませんが
ひとつだけ自信を持って言えることがあって
それは、4人のどの子どもであっても
生まれてきた瞬間に誓ったこと

この子の魂を
決して傷つけるような
そんな子育てだけは
何があっても絶対にしない
この子の魂はこの子のものであって
例え母であっても汚してはいけない
私が出来ることはきっとこの子の魂を
この生まれた瞬間のこの輝きのままであることを
守ってあげることかもしれない

そんなことを思いました
そしてそれだけは何があっても貫いてきました

私がして来たのはこれだけと言ってもいいのかもしれません
子どもたちを
愛し、愛おしみ、信じ、そして
子どもたちの魂に希望を見ていたように思います

この子はきっと大丈夫
そんな確信のようなものがありました

母親落第点な私です
長くなった文章を最後まで読んでくださり
心からありがとうございます

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?