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小さなトゲのようなイジメがあった 【小学生】

小・中・高と思い返せば
私は小さなイジメを
受けた記憶があります。


人によっては
イジメに小さいも大きいも
ないかもしれません。



私の場合、例えるなら
背の順で並んでいると
後ろからチクチクと
刺されている
といった感じでしょうか。



それが積み重なると
結構な痛みになります。



入学当時から遅れたスタート

小学校に入学直前、私は
喉の手術を受けねばならず、
入学式・新クラスに
顔を出さないまま入院
となりました。


初登校は退院後。
もちろん皆から遅れての
スタートです。


まるで初めての場所に
引っ越してきたかの様。
なかなかクラスに
馴染めませんでした。



それでもなんとか
馴染もうと努力した
と記憶していますが、
残念ながら1年生の記憶は


音楽会の練習の時に
他のクラスの先生に
皆とテンポが遅れている、
と前に引きずり出されて
平手打ちを喰らい続けた
という記憶しかありません。



今の時代は考えられない
のでしょうが、その先生が
学年主任だった事もあってか
担任である先生がその行為を
止めてくれる事
はありませんでした。





2年生に上がる前には
再度手術を受けねばならず、
それによってまた
出遅れたスタート。



ここでも同級生に殴られたり、
何故か焼却炉近くで倒れて
気を失ったという記憶、
食が細くて給食を残すと
毎回担任から怒られた
というものしか覚えていません。



帰宅した時に親兄弟に話せばよい
と思われるかもしれませんが、
父はいつも帰宅が遅く、
母はパートにでていました。
年の離れた兄がいましたが、
当時はもう中学生で部活があり、
母よりも遅い帰宅でした。



私は家に帰っても誰もいない
いわゆる『鍵っこ』だったのです。



夕飯の支度をする母に
余計な心配をして欲しくない。
という思いもあったのか
学校であった話をすることは
あまりありませんでした。



ここまでで楽しかった記憶
と言えば母が帰って来るまで
ひとりで山や森に行き散策し
動植物を間近で観察する
といったものしかありません。




引っ越し先は新天地?

3年生の1学期終わりで
父の勤務の関係で引っ越し。


この地を離れられるという
喜びがありましたが、
結局新しい土地と学校では
新参者・余所者扱いです。


途中からきた転校生が
漫画の様に優しく接して
貰うことはありませんでした。



新しい学校では当時、
集団登校というものがあり
地域に住む小学生は
小さなグループとなって
登校していました。
(下校時はバラバラ)



私のグループは
男の子より女の子の方が
人数が多く、若干肩身の
狭い思いをしていました。



ちなみにグループは2列
になって登校するのですが、
私は後ろの上級生の女の子
から歩く度にアキレス腱
辺りを踏まれていました。


おかげでそのあたりは
靴ずれのように常に
皮がめくれていました。



4・5・6年生につれて
少ないながらも友人が
できましたが、クラス自体に
なじむと言った事はなく、
どちらかと言えば
皆がやりたくない『係り』
を推薦であげられて
仕方なく、ひっそりと
それをこなしていました。


そうした経験が元となってか
集団行動・人に関わるのが苦手
となり、自然に独りで過ごす事
が多くなったので
昭和世代の仲間意識・集団意識
からも外れていきました。

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