I Love You の訳し方
先日、コピーライター阿部広太郎さんのZoom講座に参加した。
コピーをつくるときの発想や、ことばの選び方などを
丁寧に資料を使って解説してくれて、あっという間の楽しい時間だった。
実に新鮮。コピーの書き方、なんて十数年前に学んだっきりだ。
そのコピーワークの課題が「I Love Youの訳し方」
夏目漱石が「月が綺麗ですね」と訳したという話もあるが、
現在の私たちは、I Love Youをどう訳しますか。というもの。
5分間で考えて、一斉にチャットに投稿。。
秒単位で次々に、さまざまなコピーがチャットを埋め尽くし、
どんどんどんどん、流れていく。
愛の言葉の洪水。。。。なんて美しいチャットなのだろうか。
数えきれないみんなの I Love You
なんじゃそりゃってのもあるけど、
いま愛のド真ん中にいる人たちの生み出す言葉は、
キラキラと輝いていて、みずみずしい。
Zoomをテーマにしたもの、
自粛で会えないことをテーマにしたもの、
コロナ感染をテーマにしたもの。
SNSをテーマにしたもの。
今だからこそ誕生したコピーも数多くあった。
やはり、言葉は「生もの」だと思う。
私も頑張ってみたが、
たった5分間では、恥ずかしながら全く出てこない。
言葉じゃなくて、発想が干上がってるらしい。
この凝り固まったポンコツ脳みそ、動け!
これじゃ全くアップデートしていない旧式OSだ。
起動も反応も、遅すぎる。
私の考えたコピーは、
水をはじくような勢いのある言葉たちの中で、
いぶし銀の渋味と違和感を醸し出しながら流れ、
やがて、画面から静かに消えていった。。。。
どうか成仏してくれ!と祈らずにはいられない。
愛を、どう捉えるのか。
愛とは、なんなんだ。
会えない、会いたい、ずっと一緒にいたい、
胸がきゅんとするけれども、
それだけではないと、今の私は思うし
生きてきた年月とともに、
愛の意味も、刺さる場所も違ってくるんだろう。
経験や時代背景で、それは変わっていくものなのか。
それでもずっと変わらない、普遍性がそれなのか。
この年になって、ようやくわかってきたような
いやまだちっとも、わかっていないような
輪郭さえつかめない厄介なやつが、愛だ。
「I Love Youの訳し方」は、まだまだ続く。
意味も表現も、世界観も変わっていくだろう。
そんな移り変わりを面白がれるのが、大人の醍醐味。
愛のボジョレーヌーボが、ドラマチックな歴史をたどり、
ヴィンテージワインのように薫り高く芳醇なものに変化する
その経緯すら、グラスを回す余裕をもって愉しみたいものだ。
そして、月日は巡り、いつの日か。
愛する人が永く眠る瞬間に、
シワシワになった指を包み込み、耳元でそっと囁くのだ。
私の「I Love Youの訳し方」は、そこが、ピリオドだ。
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