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4.わたしは、木になりたいと思っていた自分。


こんにちわ。
都内で2011年から小さな雑貨カフェをしております、saki&pekoと申します。店を始めたきっかけやその後の怒涛の話しなど、いろいろ書いております。

妄想空想だけで、なぜ店をやることが無理だと思ったか。それは、自分に自信がなかったから。

今になって思いますが、カフェをやろうと思ったら、内容や規模をともかくとして、例えば自宅の部屋でも、週末借りてでも、とりあえずはできるはず。できないんじゃない、やらないだけ。

夢は叶わないとかいうけれど、実はすぐに出来ることなんだと思います。必要なのは勇気だけ。

夢と言うのは99%叶うものなのだそうです。叶えられることだから思い描くことができるということ。残りの1%は勇気なんだそうです。

でもこの1%の勇気が、99%よりも重かったりするんですよね。ほんの少しの勇気があれば踏み出せることなのに。身体が鉛のようになる。

ですからわたしも、夢を叶えるのは難しい・・・と思ってしまったのは、勇気がなかったからなのだ。自分に自信がなかった。未来が見えないことがこわかった。だれにも未来は見えないのに。

実際は、こうだからと理由をつけていただけ。出来ないと、できない理由を探して逃げてただけなんでした。

こんな小さな店にも、時々カフェや雑貨屋をやりたいというお客様が来たりします。「やってみたら」というと「でも、、、だから」とか「まだ、、、だから」とか返答がかえってきます。

そこが1パーセントなんだろうなあ。

店を始めることと続けることは違います。始めることは、簡単、、、じゃないけどまあ出来ること。

難しいのは、始めることより続けることなんだということを、始めてから知りましたが。

皆人生いろんなことがありますよね。人それぞれ、不幸に重さも大きさもないし、比べる必要もないと思いますが、この世の終わりみたいな時期があって、全て自分のせいだと自分を責めました。どん底の時期、自分を否定してばかりの日々でした。自分なんかいらない。この世に必要がない。

その時そんなときは、アタシは木になりたいと思っていました。小さなころから自然が好きで木が好きで、毎日駆け回り転げ回り、毎日木に登っていました。

自分という人間を否定した時に、静かにたたずむ木になりたい。邪魔もしがらみもない木。人間にも、誰とにも接触しない木。おおげさではなく、当時はこう思っていました。

立ち直りたいと思いつつ、立ち直れない。今思えば悲劇の主人公になってるだけだったのですけど、当時はドロドロ。

時間が経ち、このままではヤバイとやっと思いはじめて、強引に外にでてスポーツクラブに入会しました。やはり通うことはできなかったのですが。その時の会員証が数年後に出てきて、顔写真を見た時はがく然としました。まるで死神か幽霊でした。

このままではまずい。やっと思った。瞑想、ワークショップ、アートセラピー、イラスト、本、講演会、旅、映画、などなど、あらゆることに、少しずつ動き出しました。

ずっと自分の中に集中し、自問自答や自分にフォーカスするようになると、小さいころからのいろんなふしぎに気づいていきました。自分のなかをみていくうちに、いろんなことが起こり始めました。昇る渦巻きのなかにいつもいて、自分の中がもっともっと広いことに気がついたのです。

まさに第二の人生の始まりです。

「自分はダメな人間で、いらない人間で」から、「店をやりたい」にいくのは、振り幅が激しすぎるけど。多分わたしはこんな風に大きな影響がないと、変化出来ない種類なのだと思います。

いや、ほんとは、そんな波乱の人生を体験するのが楽しいのかもしれない。だれしも、やりたくてやっているのよ、すべて。いいことも、いやなことも、全部自分で選んでる。だって自分は主人公だもの。自分は、自分の人生の主役なんだから。人生は全部ドラクエなんだから。一歩先は暗やみ。歩くと世界が現れる。それは自分が作ったセカイ。

今だからわかる。でも気づくまでに何年もの時間がかかりました。すると、自分の中の世界がもっとしりたくなり、いろんな人と出会いたくなり、もっとひろがり、自分を知り、内面は改善されていきました。

わたしなんかいらない、必要とされていない、わたしなんかには無理、できない、できるわけない、保証がないことなんかできない、目立ちたくない、違うことをしたくない、そんな考えが少しずつ変化していきました。

それが店をやることに結び付いていきました。できないかもしれない、でもやってみたい…にかわっていきました。

だからね、ひとに対して結構冷たいかもしれません。すべて自分で選んだことだから、同情とかも、あんまりしない。

自分のことは、悩むのにね。


ではまたね。

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