1.17の日に想うこと
2020年1月17日、仕事終わり。
疲れで重い体を電車に預けながら、ひとり神戸へ向かった。
三宮の東遊園地で開催されている阪神・淡路大震災追悼式典に参加するために。
はっきり言って、かなり気が重かった。仕事で疲れていたのもあるけれど、卒論で阪神・淡路大震災をテーマにして以降、震災関連のものごとに触れると、責められているような気がして苦しくなっていた。
卒論で阪神・淡路大震災の記憶の継承について取り組んでみたものの、私はついぞ心からその出来事に向き合うことが出来なかった。「被災者の気持ちに寄り添う」ことも、「震災の記憶を受け継いでいこう」とも、心の底から思うことが出来なかった。
これは別に、「向き合おうと努力したけど、不十分だった」とかそういうことではない。本当に心から、そういった気持ちにはなれなかったのだ。
卒論を書くにあたって、震災の経験を語り継ぐ活動をされている語り部の方たちにインタビューまがいのことをした。語り部の方々はみな、本当に生命力に溢れていて、利他的で、情熱のある人たちだった。彼ら彼女らの、震災当時や直後のエピソード、悲惨な状況下でもたくましく助け合いながら生き抜いたエピソードを聞いていると、すごいなぁと思うと同時に、何だか自分が責められているような気がした。
私は、円滑なコミュニケーションで成り立つ人間界で生きていく力はかなり欠けているし、身一つで自然に立ち向かわなければいけないような大災害の局面で生き抜く生命力や意志の強さも全くと言っていいほどない。
語り部の人達の中には、今の若者は危機的な状況でも生き抜くような力が足りないというようなことを危惧する人もいたが、まさに私がそうだった。
なんだか恥ずかしいような気持ちになりながらも、私はこうも思っていた。
―でも、仕方ないよこういう人間なんだから。そういう状況になったら、死ぬかもしれないけど、普段何とか息して生きてるだけでも褒めてほしいくらいだよ。そういう時に死んだってもう仕方ないよ。だいたい、そうまでして、生きていく意味がこんな人生にあるんだろうか。―
そんなんだから私は、語り部の方々や、震災の記憶を語り継ごうと努力されている人達のことを、本当にすごいとは思うけれど、まったく別世界の人としか思えず、自分はその気持ちや熱い思いに共感することはできないままだった。
でもせめて教えてくれたことはちゃんとまとめようという贖罪に近い気持ちで、何とか文字を繋ぎ、頭で考えた考察を羅列しながら卒論を完成させた。
思えば、苦手なことにばかり取り組んできた大学生活だったと思う。
人とのコミュニケーションが苦手なのに、無謀にも国際交流サークルに所属したり、フィールドワークや人への取材が必要になる卒論のテーマを選んだり。
もちろんそこで得たものもあったし、「苦手なことにチャレンジして、いい経験になりました」と雑にいい感じでまとめることもできるけど、もうそうやって適当にごまかして自分に嘘をつくのも苦しくなってきた。
私は本当に、人間社会で生きるのが苦手で、一人で生きていく強さもないけど、人と関わることも難しい、生きづらいタイプの人間だ。
神戸に向かう電車の中で、卒論を書いていた頃に感じた苦い記憶を思い返して少し落ち込みながら、あの頃から少しも変わってないなと思う。
いや、社会人になって、今年は結婚もしたけれど、私の根の部分は少しも変わらないどころか、むしろ社会性やコミュニケーション能力をより試されるような局面が増えて、どんどんいろんなところに自分の穴が見えてきた。
仕事では、新人だということと、今のところ職場の人達に恵まれているおかげで、致命的な失敗はしていないし、困ったことがあっても何やかんや助けてもらえる。でも、問題が起こったときにおろおろするばかりで、臨機応変に対応するということができない。経験が浅いとかじゃなく、明らかに仕事ができないタイプの人間だな、と思う。今は新人だから助けてもらえるけど、10年後は誰も助けてくれないんだろうな、と思うと暗澹たる気持ちになる。
(結婚したことに伴う悩みも、いろいろとあるけれど、ここでそれを書くのはまたかなりの体力を要するので、ひとまず置いておく。)
上がったり下がったり、ジェットコースターのような気分の波の中、下がっている方にいる時は、いつも分からなくなる。なんでこんなに必死な思いで、しんどい思いをしながら、生きようとしているのか。なぜ大抵の人はみんな、ちょっとはつまずきながらも基本的には前向きに生きていけるのか。狂うこともなく。投げ出したりすることもなく。
私はやはり、普通に生きることが向いていないのかもしれない。
三ノ宮で電車をおりて、追悼式典が行なわれている東遊園地へと向かう。大学の頃と違って、さすがにもう、これをすることで何か自分が変われるとか、悩んでることの答えが見つかるとは思わないけど、それでも何となく縋るような気持ちになってしまう。
かなり暗くなった夜7時半の東遊園地は、私のように仕事終わりなのか、多くの人で賑わっていた。賑わうといっても、騒がしい感じはもちろんなく、一面にめぐらされた灯篭のゆらゆらした火の動きと歩調を合わせるように、どこか寂しいような暖かいような控えめなざわめきだった。
蝋燭に火をともし、もうかなり埋まりつつある灯篭の1本に供え、手を合わせる。
震災という、大きな出来事に向き合ってもなお、私は自分のちっぽけさやみじめさといった自分の内面のことばかり考えていたけれど、この時ばかりは、亡くなった命たちに想いを馳せることができた気がする。
あとはほんの少しの募金だけして、会場をあとにした。
来年もまた、ここに来るかどうかは分からない。
来年も、その次の年も、私はいつも、自分のことで精一杯だと思う。
それでも、来るたびに懐かしいような苦いような気持ちになるこの神戸の街のことを、どこかで、ほんの少しでいいから心に留めていようと思う。
真摯に向き合うことができなくても、それくらいなら、できるだろうと思いたい。
神戸での苦い記憶を都合よく美化しようとしているといったらそれまでだけど、
今は、そうすることで、何とか自分が生きる力に変えさせてほしいと思う。
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