彼の噛みあと 第11話
園子は彼が勧めてくれた通り、図書室に行ってみることにした。
「おばあちゃまも行く?」
「私は今読んでる本が終わってからにするわ」
「そう、じゃあ行ってきます」
「どうぞ。ごゆっくり」
図書室は、クラッシックでエレガントで内装自体がまず素敵だった。硝子戸のついた木目美しい飴色の書棚で室内中が埋め尽くされていて、書棚の内側からライトに照らされたたくさんの書物が、見る目にも楽しく陳列されていた。
園子はわくわくしながら書物の背表紙を眺めて歩いていたが、絵画集が並んでいる書棚の前で足を止めた。
園子の好きな画家James Tissotの画集があった。
園子は、この画家の「The Ball」という絵が大好きだった。
それは、若い女が白髪の男性と腕を組んで舞踏会の会場に今まさに入ろうとしている絵で、女が纏っている黄色いドレスも、ドレスの共布で作ったように見える豪華な扇子も素敵だったが、何より園子が気に入っているのは、「白髪の男性と腕を組んでいる」という点だった。
それは実際には付き添いの父親なのかもしれないが、園子はそれが彼女の恋人だったらロマンティックだなと思っているのだ。
特に今は、白髪に近い彼に実際に心を奪われているので尚更そう思う。
この画集にもその絵が載っているかしらと思い、画集を書棚から取り出し、ゆっくり眺めようと閲覧できる椅子まで持っていった。
図書室は船の前方に位置しているため、船首にあたる部分にはその曲線を活かした大きな窓が張りめぐらされており、自然光の入る明るい空間に閲覧用の椅子が何脚か置いてある。
園子があいている椅子の一つに腰掛けようとしたところ────
「‥‥!」
ちょうどその隣の椅子で、彼が肘掛けに頬杖をついて本を読んでいたのだ。
彼も園子と同時に気づき、一瞬驚いた顔をした後すぐに笑顔になった。
「園子」
「おじさま‥‥!」
園子も嬉しくて思わず笑顔になった。
「あ‥‥ここに‥‥」
「どうぞ、掛けて」
図書室といっても、陸上の図書館のように静まりかえっているわけではないので、大声を出さなければ会話をしても大丈夫な雰囲気である。
園子は椅子に腰を下ろしながら、ちょっと周囲に目を遣って、
「おじさま‥‥お一人ですか?」
「そうだよ」
と、彼が眼鏡のブリッジを中指で上げながら優しい笑顔で言ったので、園子はホッとした。
「それは?画集?」
「はい。私の好きな画家なんですけど、特に好きな絵がここにも載っているかしらと思って‥‥」
「James Tissot 、知らないな」
「全然有名じゃないと思います。私はこういうタイプの絵が元々好きなので‥‥」
「どの絵が特に好きなの?」
と聞かれて、園子は画集を開いてパラパラと捲ってみた。
「あ、この絵です。舞踏会の‥」
園子がそのページを開いて彼の方に向けると、彼はまた笑顔になり、
「あなたが好きそうな絵だね、確かに」
「もう一枚似たような構図の絵があるんですけど、そっちは確か『野心』みたいなタイトルだったからあんまり好きじゃなくて」
「舞踏会は野心が錯綜して大変そうだものね」
「ふふ。でもこっちの女の人は野心持ってなさそうだから。この白髪の男の人が父親じゃなくて恋人なら素敵だなと思って、昔から好きなんです」
「‥‥可愛いね、園子は」
と彼は言い、
「園子、まだ時間あるの?」
「ええ‥」
「じゃあ今から部屋に行こうか」
「‥‥嬉しい‥!行きたいです」
「鍵、持って来てる?」
「はい、あります」
「じゃあ先に行って待ってて。5分経ってから僕も行く」
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