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葉巻と、それを吸う愛しい人 episode-5

 仕事の帰り、マリアは相変わらずフランクのそっけない態度のことを考えては暗い気持ちに支配されながら通りを歩いていた。家に帰って食事を作る元気もない。せめて何か美味しいものでも買って帰ることに決め、デリがある店に行く角を曲がろうとしたその時、後ろから軽いクラクションの音がプップッ!と聞こえた。
反射的に振り向くと、そこには見慣れたベージュ色の車があり、その窓からフランクが顔を出して葉巻を挟んだ手をあげていた。例のマリアの大好きな笑顔で。
「おじさま…!!」
マリアは驚いて思わず駆け寄った。
「やあ。今帰りかい?」
「ええ!おじさまは?」
「あたしはこれから仕事」
と肩をすくめながら、
「…乗るかい?途中まで送って行こう」
と笑顔で言う。
「……本当に?!ありがとう!」
こんな偶然があるなんて、こんな再会の仕方があるなんて、マリアは思ってもみなかった。しかもフランクから声をかけてくれたのだ。それだけで嬉しくなって、ずっと思い悩んでいた暗い気持ちが晴れる気がした。

 マリアが助手席に乗り込むと、フランクは車を走らせながら話しかけてきた。
「仕事は忙しいのかい?」
「今はまあまあ。おじさまは?最近何か難しい事件はあった?」
「んー…この前は会社の社長が起こした事件…知ってるかい?」
「もちろんよ!あれおじさまの事件だったのね?新聞で読んだわ」
マリアは、フランクと2人で車に乗っていて、2人で普通に会話できていることが嬉しくて、あの晩以来の悲しかった気持ちのあれこれを思い出して、何だか胸がいっぱいになって来てしまった。泣きそうな気持ちになり、胸の辺りをさすった。
「どうかしたかい?」
「…ううん、ごめんなさい。私…おじさまが声をかけてくれたのが嬉しくって…。もうおじさまに嫌われちゃったかと思ってたから…」
涙をこらえるようにそう言うマリアを見て、フランクはハンドルを握ったまま左腕の時計を見た。
「…まだ少し時間があるから、腹ごしらえしてから署に行こうと思うんだけど一緒にどうだい?」
マリアは思いがけない誘いに嬉しそうに笑顔で頷いた。

 昔からあるハンバーガーショップの前で車を止めると、フランクは葉巻を咥えてブレーキハンドルを引き、車を降りた。
2人は店の奥の向かい合ったボックス席に座り、マリアはフランクの真似をしてフランクと同じベーコンの入ったハンバーガーを注文した。フランクと2人で歩くことも食事をすることも初めてで、それだけでもマリアは幸せな気持ちになった。
 事件の話の続きを聞いたり、冗談を言い合って笑ったりしながらハンバーガーを食べ終え、アイスコーヒーの残りを飲んでいる時、フランクはまた葉巻を咥えて火をつけた。マッチを振り消して煙を吐きながら、葉巻を挟んだ方の手の親指で頬を支えるようにしてマリアの顔をじっと見た。
「…それで?どうしてあたしに嫌われてるなんて思ったんだい?」
ふいに車の中の会話に戻った。マリアも急に戸惑った表情になり、
「…あの…だって、…あの晩以来…おじさまに会っても目も合わせてくれなくて……海の時だって、ずっと本を読んでて私たちの方を見てもくれなかったし…」
マリアが「海の時だって」と言い始めたあたりからフランクはずっと首を横に振り続け、「正直な話ね」と口を開いた。
「あたしはあの晩からお前さんのことが頭から離れないんだよ」
マリアは思いもかけなかった台詞に驚いて、胸がキュンと締め付けられた。
フランクは困ったような表情で笑いながら、軽く両手を上げ、
「恥ずかしい話だがね、夢にまでお前さんが出て来るぐらいだ。そんな状態でお前さんの水着姿なんて…見たら大変だよ。だからずっと本を読んでたんだ」
マリアは立て続けのフランクの告白に顔を赤くし、心臓の鼓動が上がるのがわかった。
「ただね」
フランクが指で軽く葉巻を持ったまま、人差し指を立ててこう言った。
「ここからが大事な話なんだが……あたしはロージーを愛してる。ジェシーのことも大事に思ってる」
言葉を切って、マリアの目を見た。マリアの目には既に涙がいっぱい溜まっている。
「…だからね、あの晩お前さんが言ったように、あたしはお前さんのことをジェシーの友達として見るように、見られるように戻らないといけないと思うんだよ」
フランクの台詞の途中から、マリアの目から涙がボロボロこぼれ落ち、両手で目を押さえて唇を固く結んで何度も頷いている。
フランクは、抱き寄せて頭を撫でてやりたい気持ちを抑え、ウェイターに勘定を言い付ける仕草をした。

 2人は車に戻り、フランクはマリアの家へ車を向かわせた。車内でもマリアは何も言わず、声を抑えながらずっと泣いていた。フランクも前を向いたまま葉巻を吸うだけで、一言も発しなかった。
やがてマリアのマンションの前に着くと、
「さ、着いたよ」
とマリアに言い、右手を伸ばしてマリアの頭を軽くポンポンと叩いた。マリアはフランクの方を向き、涙をいっぱいに溜めた目でフランクの目を見つめた。フランクは思わずそのままマリアの頭を抱き寄せてキスをした。さっきからずっと抱き寄せたい気持ちを抑えていたので、キスが激しくなる。するとまたマリアが、
「んっ…あ…っ」
と、切なげな声を出す。フランクは、もうこのまま服を脱がせてしまいたいぐらいの衝動に襲われたが、そこをギリギリ抑え込み、
「待った!」
と言ってマリアから身体を離した。そしてちょっと笑いながら、
「お前さんのそんな声聞いたら、また止まらなくなっちまう」
あの晩マリアの気持ちが一気に流れ出した時と同じような台詞、その後思い出す度に胸がキュンと締め付けられた台詞。
あの晩と違うのは、フランクが本当に「止めよう」としている所であった。
「…さ、もう帰んなさい」
マリアは半ば呆然としながら頷いて車を降りた。
この前と違い、今夜はフランクの方が先に車を出した。
マリアはついに声を出して泣いた。


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