他人を裁くより、自分を裁くほうが、ずっと難しいものじゃ 星の王子さま、禅を語るより
主人公(しゅじんこう)
禅の世界では、人間本来の自己、アイデンティティのことをいう。
いつも我執(がしゅう)に振り回されているような自己ではなく、本当の自分自身
星の王子さまが出会う第一の星の住人は、
すぐに命令したくなる病気の王さま。
王子さまがあくびをしようとすると
あくびをしろと命令、あくびが出なくなる
と、ある時はあくびをし、ある時は
あくびをしないでいろと命令する。
他の星へ去っていく王子さま。
王さまは慌てて、法務大臣にしてやろうと
言い出します。しかし王さま以外に裁判する
相手が一人もいないので、王子さまは
不思議に思います。
私たちは、他人のこととなったらいくらでも
欠点を見つけ、得意げに指摘する。
自分のことは棚にあげて。
自分の心の内側を見る「心の眼」
前章でも出てきたキツネの言葉
「心で見ないと、ものは決して正しくは
見えないよ。肝心なことは、目には見えない
のだから」
他人を見た目や肩書きで判断してしまって
いませんか?
私はやはり時々無意識にしてしまっていることがあります。
・すごい肩書きの名刺に圧倒される
・道をいつも歩いてる不思議な格好の人を
一瞬「変わった人だ」と思ってしまう
・若い世代の人に「まだまだだな〜」なんて
思ってしまう
こんなふうに思う自分って、どんな立場で
その人を見ているんだろう、
って問いたくなってしまいます。
一瞬で色メガネで見てしまう
自分の物差しでしか人を判断できない…
肩書きは、たまたまその人が社会的立場に
おける表現のひとつ
(肩書き以外の面のほうが、圧倒的に多い
ですよね)
いつも歩いてる変わった格好の人
きっと何か信念があるんだろうな、
聞いてみたい!!
自分より若い世代の人たちが考えてる
ことって、案外自分よりしっかりしてたり
します。
むしろ新しい!
一度その色メガネを外して、
自分の物差しも使わずに想像力を
素直にふくらまそう
いつものクセで、きっとあの人はこうだ、
ってついつい決めつけてしまうなんて、
ほんとに失礼ですよね。
人に興味をもとう!
その人の仕事や肩書きではなく、
その人の人生観、なにを大事に生きてるか
写真を撮ることが好きだからでしょうか。
ファインダーをのぞいてその人を見た時、
また映った写真を見た時に、
その人の本来の人間性みたいなものが
感じられるような時があります。
そんな時、想像力がふくらんで、
もっと知りたい!話してみたい!って
思う、行動する。
これが本来の自分の眼なのかな、
その時自分はきっとワクワクしてるはず
だから
すこし本論とズレてしまいました。
そしてもう一つ、本章の中で
「自分自身のありようこそ問題」
と筆者は言います。
肝心なのは自分自身
自分が自分を一番よく知っているから、
自分自身と向き合い、問い続けること、
なのかな、と思いました。