noteはじめ
普段、Instagramで諸々の宣伝活動を行なっているのだけど、
隙あらば思いの丈を語ってしまいがちなので、
いっそnoteにしたためることにしてみた。
あえてカテゴライズされるならば、“花屋”かなあ、
ということで、そのように名乗ることがしばしばあって
(たぶん嘘ではない)
それなのに、周囲から小売業としての花屋であることを求められると、
少々違和感が滲んでしまう。
(思春期か)
実際、アトリエでは切花1本から販売をしているし、
気が向けば、お任せのブーケなども置いているものの、
正直、あまり“モノ”を売っている意識はない。
花を身近に感じ、日常的に手に取ってもらうためのアプローチ方法は
おそらく色々とあって、
諸先輩方に続き、自分にできることを模索する日々なのだけども、
伝えることや、見せること、または、魅せること、
目に見えない感覚の部分へ訴えかけること、
そんな方法が、自分の性には合っている気がする。
朝起きたとき、昨日より少し咲き開いた花が目に入る。
ほころび、芽が吹き、はなやかな姿をみせてくれたと思ったら、
いつの間にか、花瓶のそばに花びらが落ちている。
皺を纏い、水分が抜けて、枯れていく姿の美しさ。
日常の中に、そんな自然のうつろいを感じることは、
現代の日本ではそんなに稀有なことなのだろうか。
“丁寧な暮らし”を実現している(または目指している)、
一部の人たちの特権なのだろうか。
などなどを、散漫と思い巡らしつつ、
気が向いたときに、ゆるりしたためていこうと思います。