79年前の8月15日の話し。
お盆。近所の実家に帰省をする
近所だけど最近なかなか帰らなくて
久しぶり
孫も大きくなっているから
家族で顔を見せる機会も貴重
私には今年89歳のおばあちゃんがいる
娘1人孫3人曾孫が7人いるまだまだ元気なひーばー
最近は猛暑で
家から出れない生活なので話し相手は
嬉しいみたいでめちゃくちゃよく話す
ひーばーは見た目はおばあちゃんだか
心と中身がめちゃくちゃ若い
私よりはるかにミーハーでイケイケ
オリンピックの話し。
Snow Manの推しの話し。
芸能界のテレビの話し。
曾孫とも普通に推し活について話せる
私は詳しくなくて全くわからない話しである
そして昔の話しもしてくれる
戦争を体験した話だ
当時10歳だったひーばーは
1945年8月15日の玉音放送を家族みんなできいた話をする。
昨日はまたいつもより想い出を細かく説明してくれた。玉音放送の
「たえがたくをたえ、しのびがたきをしのび」
その言葉だけよく覚えているのよ
と、はなしてくれた。
聴いてみたら本当に話していた。
「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」
が出てきて。ひーばーの実話が
よりリアルに感じる。
戦時中の話もする。学校に通っていたとき、明日は空襲がくる予報だから先生にゴザを持ってきてといわれたそうだ。授業中に建物は危ないから、途中で神社に移動してゴザを敷いて授業の続きを受けていたそう。(全然集中できないけど)
空襲がきて遠くの街が赤赤と燃えていた。
コーラの蓋を指差しながら赤赤とは
こんな色だったわよ
狛江に敵国の戦闘機が不時着したから見に行ったの。日本人に囲まれた敵兵の外人さんがいて、その場を取り仕切る男衆が「殺すな!」って殺してはいけないって仕切っていた様子をみていた。報復を恐れて身柄を敵国に渡したと
物心ついた頃から〜10歳まで残る記憶は戦時中だけれど、話し方とか感じ方がひーばーにとってはそれが日常だったんだなと感じる。
私達も今たまに北朝鮮のミサイルの警報がなる。
コロナが流行ってきたらマスクをしましょうと言われる。緊急地震速報が鳴る。豪雨が起きて被害が起きる地域がある。
これもわりと日常では?
(日常になっていて怖い)
終戦から79年。平和になったかな
平和ってなんだろう。
79年後ひーばーが曾孫とアイドルの話しをしならがゲラゲラ笑い。おしゃれしたり遊んだり体験すること人生を楽しむ事をしなさいとひーばーが言うことは平和だなー。って
思ったよ。
ひーばーは今もボケてないほど気の強い方だから
家族仲では色々あって色々あり過ぎたけど。
いよいよ来年90代になるし。戦争を知っている世代はすごいなぁと聞いた話しを残していきたいなと思い書いてみました。曾孫に聞かせてあげる機会が良いよね語り継いでね想い出話し。
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