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【Görlitz1/ゲルリッツ1】中央駅から聖母教会

ドレスデンから電車で1時間ほどにある小さな町、ゲルリッツ。
こぢんまりした田舎町といった具合で、何か建築物が有名とか誰々(著名人)が住んでいたとかメジャーな映画の撮影に使われたとか、そんな町では多分ない(知らんけど)。

では何故たった3日間半のドレスデン旅の中、朝も早起き日帰りでわざわざここへというと、「景色がよいと聞いた」から。
町の風景は古く、古い教会も多く、大きな川もあり、広い公園も緑の多いだだっ広い自然もたくさんありハイキングし放題、自然大好きなドイツ人がのんびり休息に、あるいはアクティブ活動に訪れるにもってこいの場所なんだろう。多分。

町の東端に川があって、橋を渡るとそこはもう隣国ポーランド🇵🇱。地図で見ても急にポーランド語表記と地名になっている。

「…スカ」とか「Zgorze…」とか典型的なポーランド語の地名。
対して左側はドイツ語地名(カタカナですが)。

国境はどうやら川の真ん中らしく、Googleマップを見ると、川が縦に真っ二つ。…いや無理やん、川の真ん中が国境って。まぁ、川は貨物輸送や水源として必要だから、国益を平等に分ける目的でこうしたんだろう。互いの国にとって水源はとても貴重な存在なのだ。

さて、私の目的は、ビュースポットの大きな教会と近くの橋の風景を拝み(この町の名でググるとこの風景しかないってぐらい同じ画像が出てくるw)、他にもいくつかある小さな古い教会を1, 2箇所覗き、そしてこの地域中心に製造販売されている地元ビール醸造所の見学、である。「のんびりお散歩コース」でいけるかしらん。夕方にはドレスデンに戻らないと、夜はオペラが待っている(例のゼンパーオーパーで「魔弾の射手」鑑賞)。うくく。

この前日まで工事中で電車の本数が随分減っていたので、
工事が終わったかどうか疑わしく、アプリでも駅でも何度も時刻表を確認。

この地域列車線だけでなく、この時ドレスデン市内の多くの路面電車が工事中で、路線図とは運行がガラッと変わっていた。アプリも果たして最新情報が反映されているんだか怪しさ満点。ぐぬぬ、信用できぬ。たとえ反映されていたとて時間通りにはほぼ来ないのがデフォルトなこの国。
初めましての町への到着日は、プラプラお散歩でもしながら町の地図と路線図と地形の確認に費やすことにしている私は、早速ドレスデン到着日に洗礼を受け(ついでにドレスデン到着までにもドイツ鉄道のスト&遅延で到着自体が大変だった💧)、この地域列車のことも調べまくっていたのだ。ふはは。

さて、無事に到着😌
駅舎が美しいのにまず驚き。思わずしばらく佇んで辺りを見回す。

最近リフォームされたのかな。
反対側から。
ピアノも無造作に置かれている。飾りだろうけど本物。
(椅子がないのでストリートピアノの類ではなさそう)


やっと駅舎の外へ。

普段ドイツの西の町にいるので、東の町へ来たときにはやっぱりアンペルマンの信号を探してしまう。性(さが)ですな。

町にもよるけれど、全部の信号がアンペルマンというわけではない。
なので余計に注視しちゃう。
ここは歩行&自転車用。

この後こういう広場をいくつか見かける。ベンチも、水も、緑もある。ワンコの散歩してる人や、お散歩がてら?談笑しているご老人たちがいた。気持ちよさそう。

この左奥に聖母教会がある。川沿いの大きな教会へ着く前に、寄ってみることに。

Frauenkirche/聖母教会

14世紀に建てられた時は城壁というか市壁の外にあったのが、一旦取り壊され
約100年後に現在のものが出来上がったそう。シンプルなゴシック様式で、内装の何度か塗り直された白い壁が、外観とのギャップにちょっと驚く。
写真NGだったのでURLを。ドイツ語しかないようですが、画像だけでもどうぞ。

祭壇部分の木彫と、小さな星のようなものが散りばめられた深い青緑色の祭壇壁、その上の少しだけ色を施したステンドグラスが、シンプルながらも目を惹く。
オルガンはパイプが2300本の、普通のコンサートで十分使えるサイズ。石造りでなく漆喰の壁にどう響くのか、興味ある…

さて。お次の教会へと向かいます。メインの目的ペータース教会はまだまだ先だ。

そしてこういう、穴というか、遠くがのぞき見えるところが大好き。

これは教会のすぐ横にある、この間メインのデパートの一部。奥のほうにはまたちょっとした広場?が。緑の多い町はいいですね。
ちなみにこのショッピングモールの右隣りにはもっと大きなショッピングモールがあり、聖母教会はそんなところに挟まれるように佇んでいる。
ちなみに左隣りはドイツ銀行、少し手前には郵便局、一つの町に必要なものが大体揃っている。


この塔は、Frauenturm(女性の塔?)、あるいは厚い塔(der dicke Turm)と呼ばれていて、なぜ「厚い塔」というかというと、塔の下部の厚みが5m以上あるからなんだって。あ、これ、ほぼ空洞じゃないんですね…

14世紀始めにはもう存在していたようだ。

塔の真ん中下にある砂岩のレリーフは、当時市壁の外の別の場所にあったのが、ここへ移されたんだとか。

フス戦争は15世紀に15年ほどにわたって繰り広げられた宗教戦争(ある意味では農民戦争とも言われるけど)、その後半はポーランド王国との戦争もあり、東にあるこの地域は相当打撃を受けたよう。このように移転されたレリーフや、再建された綺麗な教会を見ると、その影響を感じずにはいられない。

さあ、お次は三位一体教会へと参ります。
次へ行ってわかったんだけど、この町のほとんどの教会、内部の撮影NGだった😢

(続く)


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