幼少期の華子


何不自由なく過ごした幼少期。

あとあと知るんだけど、華子は超絶人見知り。

そして母がちょっとでもいないと帰ってこなかったらどうしよう。

事故にあったらどうしよう。

死んだらどうしよう。


って常に不安を抱えていた記憶。


母から離れられない子だった。

ただ、空気はめちゃくちゃ読むほうだった。

父方の祖母は典型的な姑。

祖母の家にいくと母が座っているのをほとんどみたことがない。

正月に祖母の家に行くのが憂鬱そうな母。

母を守りたいとそばにいた。

タバコを隠れて吸う時は、すすんで見張り役もしたw


祖母は連絡なしで突然来訪することも多かった。


父がいない時は居留守もつかった笑


マンションでオートロック。

インターフォンにうつる祖母の顔をみて息を潜めて居留守をつかったこと、今でも覚えてる。


かなりの母っこだった。

母を守るためならなんでもした。


小学生になる前くらいだろうか。

父が家をあけることが多くなり、母との喧嘩が絶えなくなった。


理由は知らなかった。


帰るかわからない母はそれでも毎日ご飯をつくって待っていた。


朝起きて手がつけられてないごはんを無言ですてていた母。

大好きだった父のことも嫌いになりそうだった。


たまに帰ってくる父。
ほとんど喋らずに荷物をとりにくるだけ。

そんな父と母がまた言い合いになり、玄関で父は母を押し付けていた。


『お父さんやめて』

必死ででた声。


怖かった。


父は慌てて母を離してでていった。

母は

『ごめんね』と泣いていた。

母の泣いてる姿に、私は泣いちゃいけないって思った。


泣いたら母が悲しむから。


そうやって自分の感情を押し殺すようになった。


ここからは私は記憶は抜けている。

母からあとからきいた話。

私は夜が怖くなった。

眠って誰も自分のそばからいなくなるんじゃないかと不安で眠れなくなった。


ただ『怖い』と理由はわからないけど眠れなかった


母は私にお守りを首からさげてくれた。


『これで大丈夫だよ。怖いもの全てから守ってくれるよ』

そう言われて毎日お守りを首からさげて眠れるようになった。


幼い私には相当なストレスだったんだとおもう。

両親の喧嘩


母の悲しい姿


これ以上母を悲しませまいと感情を殺す毎日


不眠症だったのかな。

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