自分を見つめ直す静寂のチカラ
過剰な労働と遠心的レジャーの間を行ったり来ている人は、
モノをじっくり考える時間がないのです。
ヴィクトール・E・フランクル
過剰な労働と消費社会の圧力
静寂の中で自分を見つめ直す時間。
忙しい日々を生きていると忘れがちですが、無意味に思える
この時間こそが人生を変えてくれます。
私たちは忙しくしていると有
意義に感じることがありますよね。
その反面、
肉体的には疲労のピークに達していませんか?
私たちは
常に行動するように仕向けられています。
それは消費者として
何かを消費するために必要な行為だからです。
消費することで
私たちの経済は成り立っています。
さらに、
現代は以前よりもラクに
消費することができるようになりました。
親指ひとつで
ポチリと欲しいものを
手に入れられるように。
労力をかけずに
消費できるようになったのは、
いいことである反面、
常に「何かをしなければ」
という強迫観念のような
切迫した思いを抱かされるのではないでしょうか。
忙しさに隠された消耗と強迫観念
私たちは目に見えぬ何かに追われています。
100年以上も前に
ドイツの作家ヘルマン・ヘッセは『車輪』の下で
馬車馬のようにこき使われ
死んでゆく主人公の物語を書きました。
現代も、
その傾向が変わる気配はありません。
むしろ、
拍車がかかったと言うべ気でしょうか。
何かに追われ、
消費つくされていく人生。
そうした人生を
脱出する方法はないのでしょうか。
静寂と非日常の重要性
答えは、「静寂」の中で
過ごすということ。
忙しい日々を忘れるように、
大型連休や年末年始になると
別世界を体験すべく
非日常のリゾートに行く人は多いですね。
とてもいい試みですが、
ヴィクトール・E・フランクルのいうように
「過剰な労働と遠心的レジャーの間を行ったり来ている人は、
モノをじっくり考える時間がないのです。」
を体現する人生になってしまいます。
日常をせわしなく過ごしていると
急にのんびりはできないものです。
せっかくの休暇なのに
予定いっぱいに
せわしなく過ごすという方も多いはず。
そう、人は
フレキシブルに対応しにくい性質を持っているのです。
非日常を楽しむための準備
だからこそ、
日頃の準備がものを言います。
せめて週に1回、
30分でいいから
自分なりに非日常を味わえる時間を
持ってみること。
たとえば、
私は
週末には公園をサイクリングして
自然を感じたり、
旬の花を愛でたりしています。
日常から
じっくりすごすことを鍛えていると
非日常の世界に行っても
”じっくり”を心行くまで味わうことができるのです。
お盆前に、
あなたも”じっくり”を
堪能する準備をしてみるのは
いかがでしょうか。
そうすれば、
いつも違った世界が見えると思うのです。
ここまで読んでくださり
ありがとうございました。
何かの参考になれば幸いです。