自己防衛力が働きすぎて人を信じれない

華です。

自己防衛って人間の本来持っている機能らしい。
この機能があったから命が狙われる危険が多いサファリの時代に、危険察知能力が携わって自己で防衛してきたたしい。

現代の今は死に直面する機会はないのに、この機能だけは一丁前に携帯している。だから変に、自分を傷つけたくないという感情が優先されて、人を信じれなかったり、自ら挑戦することを諦めたりするんだと思う。

もちろん自己防衛に助けられた時ってたくさんあると思うし、一種の自分を守る機能だから、この機能には感謝している、ありがとう。
だけどね、私は過去に人間不信になった経験から、人をあまり信じれなくなったの、当時深く傷ついて、自分を守れる人は自分しかいないんだって身をもって感じたから。

それ以降は、深く狭い人間関係を築くようになって、今まで毎日違うお友達と遊んだり、カナダ留学中毎日20人以上に話しかけていた私だったけど、その外交性は損なわれてしまった。

なぜなら1番に自分を守ることをするから。無理に人に心を開かない、人が近寄ってきても不信感を抱く、友達を心から信じられない、など人生をおもんなくする選択しかしなくなった。

自分自身と向き合った分、今は自己防衛力と周りの人を信頼する能力のバランスを保つことが自身を大切にしながら周りの人に感謝できるのだと心から思う。

私ごとにはなるが私はYouTubeで深い思考を共有して、この社会に生きづらさを感じている人の心を少しでも豊かにしたいという思いを持っている。もし気になった人がいれば覗きにきてください。

話は戻るが、友人や知人を心から信じられないのって、自分を傷つけたくないからなんだと思った。根本的に私が人を信じられないのが、一つ一つの行動を観察して見極めてしまう癖に繋がっているんだなと感じた。

友達を心から信じれなくて、心が窮屈で、寂しい。
でも友達にどうこうしてもらったから仲良くするって純粋な友情ではないと思うんだよね。だから私はこの人といたら心地よいなぁ。自分のままでいれる、と主観で思える人と大切に人間関係を築きたいなって思って。

でも社会で生きているといろんな人がいて、時には苦手意識が働く相手に直面する時もあるだろう。そんな時こそ自己防衛を有効活用すべきだと思っていて、相手を不快にするコミュニケーションは取らないが、私からも別に何もしない、ただ尊重はするけど、最低限の関わりで済ます。
でいいと思う。

私は仕事やプライベートでも、やはり心を通わす瞬間が好きだから、自己防衛が働いて相手との関係を築けなかったという瞬間にどうしようもない寂しさを感じる。

自己防衛力があるから、私に好意を持って接してくれた人の理由を聞きたいとも思うし、深い考えがあるのかを信頼できるかどうかの判断基準にしている気がする。

私はもっと人を信じたいが、自分でしっかりとコントロールをしながら、相互関係で心を許せ合えると思えた人と、深く近い愛情に溢れた関係を築きないなと思う。

みなさんは、自分を守ることに必死になって何かの機会を逃したことはありますか?
自分を傷つけないことばかり考えて、気疲れしちゃってませんか?

貴方が自然に心を開いたら、それが1番いいなと思う。
ただ昔友達のことが大好きだった私が思うのは、貴方が自己開示したことによって相手が親近感を持って接してくれる機会を作れたかもしれない。今でもそう思う時がある。

大人って全てを複雑化するから、自分で自分の首を絞めている可能性はあるよね。


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