キボシアシナガバチで観察された子殺し
子殺しとは
動物における子殺しとは、一般的に同種の子どもを成体が殺す行動を指します。「種の保存の法則に反する」として、以前は偶発的な、もしくは異常な行動と見られていました。しかしハヌマンラングール(猿)やライオンにおいて、ハーレムを持つオスが交代した際、新しいオスが群れの子どもを殺す行動が知られるようになりました。すると子供を失ったメスたちはオスを受け入れるようになり、群れには新しいオスの子どもが産まれるのです。オスによる子殺しは、自らの子孫を残すための適応的な行動と受け止められるようになりました。
実は同じような行動は昆虫でもみられます。日本に生息する水生昆虫のタガメです。タガメは交尾後にメスが産卵し、オスがその卵を孵化するまで世話します。しかしメスは交尾相手が見つからないと、オスが守っている他のメスの卵を破壊してしまいます。するとそのオスは卵を破壊したメスと交尾し、新しく産み付けられた卵を守るのです。
どちらも例も、育児をしていて交配に応じない相手を、子どもを殺すことで交配可能な状態にするという繁殖戦略です。
プリングルスを試していたときに・・・
先日、プリングルスの容器をディフューザーにして、庭で虫を撮影していたときの事です。
庭にある(正確には隣家から伸びた)ウラジロモミの枝に、キボシアシナガバチの巣を見つけました。そこでゆっくりと巣に近づきます。私に気付いたハチは翅を半開きにして、こちらを睨み付けます。しかし動かないでしばらくすると、ハチは忘れたように元の姿勢に戻ります。そうやって撮影可能距離まで近付き、ファインダー越しにハチの様子を観察していると、1匹のハチが巣房を塞ぐ黄色い蓋を齧っています。中には成長した幼虫か、蛹が入っているはずです。
「蛹から羽化した成虫が出てくるのだろうか? 繭から脱出するのを、働きバチが外から手伝っているのかもしれない」そう思って見ていたのですが、なんとハチは繭に開けた穴から幼虫を引きずり出し、頭を噛み砕いて肉団子を作り始めました。
ひえ〜〜〜
そして、まだ繭が紡がれていない巣房に頭を突っ込みました。中の様子は見えませんが、幼虫に肉団子を与えているのでしょう。「それ、お姉さん(?)の肉ですよ!!」
すると他のハチも寄ってきて、とうとう幼虫の残った体を巣房から引き抜いてしまいました。そして噛み噛みしながら、ハチ同士で分けています。
ハチたちは、肉団子を幼虫に与えるだけでなく、自分たちでも食べてしまいました。育房の黄色い蓋には、羽化したハチが繭から脱出したのとは異なる、小さな丸い穴が残されました。
この行動はいったい?
真社会性昆虫であるアシナガバチが、自分の巣のメンバーである幼虫を食べる。この行動をどう理解すれば良いのでしょうか? まず食べたハチと食べられた幼虫の関係を考えてみましょう。アシナガバチの巣は、1匹の女王蜂とその娘である働き蜂で構成され、夏の終わりから次代を担う生殖虫(オスと新女王)を育てます。見た目で女王蜂と働き蜂を区別するのは難しいですが、ハチと幼虫には「親子」もしくは「姉妹(姉弟?)」という血縁関係があることになります。冒頭で紹介したハヌマンラングールやライオン、タガメでは、殺す側と殺される側に血縁関係はないですから、ここが大きく異なります。それに今回のアシナガバチの例では、幼虫を殺すことで交配相手を得られる訳ではありません。
血縁者による子殺しはあり得るか?
飼育下のメダカなどが、産卵した卵や孵った稚魚を食べてしまうのは、よく知られています。ペット用品売り場には、卵や稚魚を隔離するための容器が売られていますね。これは親が自分の子を認識することができずに食べてしまうと考えられています。飼育下の狭く高密度の環境ならではの現象で、自然界では互いが遭遇する可能性が低く問題にならないのでしょう。
カエルやサンショウウオのオタマジャクシでも、共食いはよく知られています。狭い水溜りなどに産み付けられた卵塊から生まれた兄弟姉妹が、共食いしながら成長するのです。もちろん、それ(兄弟姉妹)だけ食べている訳ではありませんが、中には共食いに特化した形態に変身する種類もあるというから驚きです。これは狭く餌資源が限られ、高密度な環境の中で、生き延びるための生存戦略と捉えられています。
鳥類では、餌不足に陥った際に、巣の中の最も小さなヒナを巣から放り出して殺してしまう例が、コウノトリなどで知られています。またイヌワシでは、兄弟姉妹の間でつつき合いがあり、小さなヒナが親からの餌を得られずに死んでしまいます。これも限られた餌をめぐる競争で、結果的にヒナが餌不足で全滅するリスクを下げていると考えられています。
「巣の中の子どもを家族が殺す」という点では、今回のアシナガバチの例は鳥類の例に似ているようですね。
ハチと幼虫の栄養交換
ところでアシナガバチやスズメバチには、ハチと幼虫との間に特別な関係があります。幼虫はハチが運んできた昆虫の肉団子や肉汁、花蜜などを食べて成長します。一方で成虫になったハチは、腰が細くくびれているので、硬い固形物は食べられません。そのため花の蜜などの液体を摂っているのですが、実は幼虫が口元から分泌する液体が、重要な食料になっているのです。ハチが幼虫に餌を運んで与え、引き換えにその幼虫が分泌する液をハチが摂取するので、この行動を「栄養交換」と呼んでいます。この栄養交換が、ハチに社会性が進化した理由と考えられたこともありました(栄養交換説)。
つまりハチにとって幼虫は、育むべき家族であると同時に、食料貯蔵庫でもあります。通常であれば、ハチは幼虫を食べるのではなく、その液体だけをもらうはずなのです。
幼虫は非常食?
今年の夏は、雨が多く降りました。午後になると積乱雲が発生し、ゲリラ豪雨になることが多かったですね。実はこの日も雨上がり、そしてぐずついた天気が何日も続いていました。もしかすると、働きバチたちはあまり狩に出られず、十分な獲物を持ち帰ることができていなかったかもしれません。少しの間であれば、幼虫が分泌する液体でハチたちも凌げたでしょう。しかし幼虫も空腹となり、栄養交換もままならない飢餓状態になったらどうでしょう? そのような非常時に、繭の中の幼虫が食事に饗されたという可能性はないでしょうか? しかしそれでも疑問が残ります。今まで手間暇かけて育てて繭を紡ぐまでに育ててきた幼虫です。もう餌を与えなくても蛹になり、新しいハチとして生まれてくる事が約束されているのです。それを若齢幼虫や成虫の餌にしてしまうのは、今まで掛けたコストに対して非効率ではないでしょうか? 同じ餌にするなら、今までに掛けたコストがまだ少ない、そして今後順調に成長できるとは限らない、小さな幼虫の方が良いように思えます。
食べられたのは誰だったのか?
そこで気になったのが「食べられたのはどのような個体だったのか?」です。これはもう食べられてしまったので確かめようがないのですが・・・。
可能性としては4つのパターンが考えられます。
(1)働きバチになるはずの幼虫だった
(2)雄バチになるはずの幼虫だった
(3)女王バチになるはずの幼虫だった
(4)寄生虫や病気に犯された幼虫だった
まぁ、食べた訳ですから(4)の可能性は低いのではないかと思います。
季節的には夏の終わりですから、巣では生殖虫となる雄バチや女王バチが育てられている時期でしょう。(3)は来年巣作りをして自分たちの子孫を次へと繋げる存在ですから、育てる優先度としては最も高いはずです。(1)であれば、もう働き手はいらないとばかりに選ばれてしまったかもしれません。では(2)はどうでしょう?
オスとメスで異なる血縁度
ハチは「半倍数性」という変わった遺伝様式を持つ生物です。メスは我々ヒトと同じく、減数分裂によって作られた卵と精子から、受精により1セットずつの遺伝子を受け取った「2倍体」です。しかしオスは未受精卵から産まれるため、遺伝子セットを卵から1セットだけ受け取った「1倍体」なのです。
すると姉妹で同じ遺伝子を持っている確率「血縁度」は、父親から受け取った遺伝子セットは皆同じなので3/4となります。これは自分と自分の子供との血縁度1/2より高いので、自分が繁殖するよりも妹を育てた方が、自分と同じ遺伝子をより多く残すことができます。それが、自分では繁殖せずに労働を担当する個体を持つ「真社会性昆虫」が進化した理由と考えられているのです(血縁淘汰説)。しかし働きバチにとって、父親からの遺伝子セットを受け取っていない弟との血縁度は、たった1/4になってしまいます。もし、働きバチが幼虫の雌雄を識別することができるとしたら、オスの幼虫は育てる優先度が「低い」存在なのかもしれません。
あくまでも予想ですが
今回のキボシアシナガバチによる「子殺し」は、悪天候が続く飢餓状態の中で、「血縁度が高い」働きバチやメスの幼虫の命を助けるため、「血縁度が低い」オスの老熟幼虫が犠牲にされたのではないでしょうか。人間の価値観からすると残酷に思える行動ですが「自らと同じ遺伝子を持つ系統を次代に残す」という生物の究極的な目的から見れば、とても理にかなった行動ということになります。
今回、色々調べながら少しずつ記事を書き進めていたため、随分と公開までに時間がかかってしまいました。血縁淘汰説は私が学生時代に専門書で読んで以来なので、30年ぶりの復習です。私の予想が正しかったのかはわかりませんが、観察した生き物の行動を見て、なんでそんな事をするのか意味を考える、そんな自然の楽しみ方もあることを知っていただければうれしいです。
気がつけば件のキボシアシナガバチの巣は、ハチたちが巣を離れ、誰もいない廃巣となってしまいました。