岡村隆史さんの炎上から:現代日本が「女性の尊厳」を守ってくれる社会になってくれたこと
ナインティナインの岡村隆史さんが何やら炎上しているらしいと知り、ラジオを聴いたら岡村さんがひたすら謝っていたので、「でもまあいつものように、そんなに大したことないことで騒いでいるのだろう」と思いつつ、ネットで詳細を調べたら、
思った以上に岡村さんがひどいことを言っていて、びっくりしました。
ここに詳細を書こうとしたのですが、ちょっとひどすぎて正直書くのも躊躇するぐらいだったので、
気になる方はネットで調べてみてください。
簡単にいうと、岡村さんがラジオでかなりの「女性を蔑視」した発言をしたんですね。
それが本当に酷い。さすがに擁護できないような発言でした。
今までいろんな炎上について見てきましたが、わたしの中では一番酷く、正直はじめて聞いたときにはかなりの不快感を抱きました。
はじめに言っておくと、わたしは芸人としての「岡村隆史さん」のことはとても尊敬しています。
昔からの岡村さんのエピソードを聞く限り、お笑いにたいしてのストイックさは本当に尋常ではなく、むしろこんなにもお笑いに身を捧げた人間がその上性格も聖人君子のように素晴らしくいようとするなんて不可能であり、ある程度性格が歪んでいたとしても致し方がないような気もしています。
とはいえ、それにしても今回の発言はあまりに酷く、怒る方が多くいてもおかしくはないと思っています。
だからわたしは岡村隆史さんことを批判するつもりも、擁護するつもりもありません。
*
ただ、不謹慎かもしれませんが、
こうして岡村さんの発言をめぐり、「女性の尊厳」「女性の権利」について怒ってくれるひとが世間にとても多いこと、
現代日本がそんな社会になっているのだな、と思うと、
なんだかわたしは個人的に、少し「嬉しい」と感じてしまったのです。
というのも、日本社会において、長いこと、「女性の地位」というものは地を這うような本当に低いものでした。
『女性の尊厳』について、社会全体がこんなにも怒ってくれるようになったのは、本当にここ数十年の、もしかしたらここ数年のことなのかもしれません。
わたしは先日、『島田清次郎』という小説家の伝記を読んだ、という記事を書きました。
大正時代の作家についての本なのですが、この本に書いてあるエピソードを知ると、いかに昔の女性が社会に虐げられていたのかをひしひしと感じることができます。
この島田清次郎という小説家は、大正時代、若くしてデビューし、その作品はあっというまに時代を席捲するほどの大ベストセラーとなり、当時『天才作家』として超有名人だったのですが、
人間性に非常に難があり、結局はその破綻した人間性から周りからごとごとく嫌われ、文学界を追われ、最終的には精神病院に入院し、31歳で亡くなっています。
この島田という男が、本当に最低な人間でした。
母親への家庭内暴力、妻への暴力も酷く、
妻には「浮気をしないように」と髪を坊主にさせ、そのくせ自分は出張先で出会った女性に手当たりしだいに手を出そうとするという、人間としても男としても最低のクズでした。
そしてその島田が、とある事件を起こしました。
島田は当時のカリスマ的人気の小説家であり、若者からひっきりなしにファンレターがきており、その中でも熱心に手紙を送っていた一人の女子高生のファンがいたのですが、
島田はそのファンを自分の家に呼び出すと、強姦し、そしてそのままその女の子を家から連れ出すと、旅館などを逃げ回りながら、三日間にわたり女子高生にたいして凌辱、暴行をつづけたのです。
三日間に渡る逃亡の末、島田は警察に見つかり、女子高生は無事保護されました。
皆さん、このあとに島田はどうなったと思いますか?
これは誰がどうみても、立派な「犯罪事件」です。
島田は当然警察につかまり、その後しかるべき刑罰を受けた、と思うでしょう。
しかし残念なことに、現実は違いました。
結果からいうと、島田は一切罪に問われず
世間から大バッシングを受けたのは、被害者である女子高生の方でした。
「……は?」と思いますよね。
信じられませんよね。
でもこれは実際に、大正時代の日本で起きたことなのです。
なぜ、被害者である女子高生が、大バッシングを受けたのか。
その被害者の女の子がとある名家の令嬢であり、さらに島田に手紙で「会いたい」と言ったのは彼女の方が先だった、という事実が明るみに出たからでした。
たったそれだけのことで、彼女は被害者から一転、世間全体から大バッシングを受けることになりました。
たしかに百歩、いや百万歩譲って、「若い女の子が見知らぬ男の家にのこのこと行ってしまった」、ということは軽率な行動であったかもしれません。
ですが被害者は、まだ十八そこそこの若い女の子です。
憧れの有名人に出すファンレターの中で「あなたに会いたいです」と書いてしまうのはしかたがないし、ましてや大正時代はネットもなく、情報も限りなく少ないです。そうした知識も薄く、危険意識もないまま、ただ勢いで若い女の子が憧れの有名人に会いに行ってしまう、ということは全然ありえることだったと思います。
そもそもその女の子に「のこのこ会いに行ったお前の方悪いんだろう」というのは、
つまり痴漢や、性被害者にあった女性に
「そんな肌を露出した服を着ているのが悪いんだ」「夜道を一人で歩いていた女の方が馬鹿なんだ」というようなものです。
当然、今の時代にそんなことを公衆の面前で口にしたら、その人間は激しく非難を受けることでしょう。
しかし当時のメディアは、先に「会いたい」と言ったのは被害者の女の子の方が先だった、ということがわかるやいなや、
こぞって彼女を、まるで「アバズレ」であるかのように新聞にかきたてました。
それはちょっとした批判程度ではなく、加害者である島田に対してのものとは比ではないほど、本当に酷い書かれ方をされたのです。
(そもそもそれ以前には彼女を「かわいそうな被害者」として新聞で書いてはいましたが、それでも彼女の実名、出身にいたるまで詳細に新聞で記載しており、それだけでも当時の性被害者の女性のプライバシー、尊厳を守ろうとする意識は微塵もなかったことがうかがえます)
さらに、まだ新聞や世間から大バッシングを受けるだけだったらまだよかったのですが、
彼女を待ち受けていた悲劇はそれだけではありませんでした。
彼女の父親は海軍少将という、立派な職についた人間だったのですが、
相手に「会いたい」と言ったのが娘の方が先だった、という事実を知ると、
父親は大激怒し、
娘に刀を振り上げて「お前を殺して私も死ぬ」と言ったんだそうです。
気が狂ってますよね。
三日間、大の男に短刀で脅され、凌辱され、酷い暴力を受けつづけ、いつ終わるとも知れない恐怖に耐えぬいて生きて帰って来た自分の娘に、
その父親は刀を振りあげて「殺してやる」と言ったのです。
しかしそれこそが封建的な「男尊女卑」がはびこる当時としては、当然の感覚であり、むしろ父親として『立派な行動』であったのです。
そこに、被害者である女の子の「気持ち」を考えてあげようという人間はおらず、
女性の「尊厳」「権利」などは、その存在すらもなかったのです。
*
今回の岡村さんの騒動にたいしての意見を見ていると、『「女性の尊厳」だのといちいち騒ぎ過ぎだ』という意見も見受けられました。
「女性の権利」ばかりが主張されていて、「男性の権利」がないがしろにされているんじゃないか、という意見もありました。
わかります、気持ちはわかりますが、
どうか、どうか許していただけませんか。
そのぐらい、日本の女性は本当に長いこと、この社会で虐げられてきたのです。「権利」を主張すること自体、不可能だったのです。「女性の尊厳」なんて、ゴミクズのように足で踏まれ続けてきたのです。
今回の騒動で、「岡村さんの番組降板に対しての署名運動」が行われているようです。
わたしはそれを初めて知ったとき、「それはやりすぎだろう」と思いました。
ですがその後に、その署名活動をされている女性の記事を見ました。
日本では何十年にも渡り「女性差別・蔑視発言」が横行してきた。
そして自分自身物心がつく時からテレビやラジオ、雑誌や漫画を見て疑問を抱いてきた。
私の考えや活動を応援してくださる、私より10年、20年、30年歳上の方(ジェンダー関係なく)からこんな風に言われることが時々ある。
「この状況は何十年も続いてきた。そして私たちは何もしなかった。その代償を背負わせてごめんなさい。だから、私たちはあなたたちを応援します」
上の世代を責めるつもりは全くない。
だけど、同時に女性差別や蔑視に溢れる社会をかえることができなかったという点においては、ある程度の「責任」はあるのではないか、と思う。
(中略)
だからこそ私は、「署名はやりすぎ」という人たちに伝えたい。
私は、私たちは岡村氏を芸能界から追放しようとしているわけではない。
ただ、理解をしてほしい。分かってほしい。
そうです。わたしも先に書きましたが、こういう記事を書いて、その上で岡村さんを批判しようという意思はありません。
ただ、知って欲しいのです。
わたしたち女性にも、ちゃんと「気持ち」があること。「人間」なんだということ。それを長いことを無視されてきた屈辱、怒りを。
それをただ、知ってほしいだけなのです。
きっとそういう気持ちが多くの女性の心のどこかにあるからこそ、こうしてほんとにちょっとしたきっかけで、ぶわっと火がつき、世に出てきてしまうのではないかな、と思いました。
(わたしは芸人さんもラジオも大好きですが、さすがに風俗とか、きわどい女性の性を芸人さんがネタにするのは、聴いててそんなに気分はよくないですよ。いいわけないじゃないですか)
こちらの記事に、その署名について、さまざまな女性たちの意見がまとめられています。
その中でひとつだけ紹介します。
そしてこれをきっかけに、謝罪をするからには、岡村さんには、日本社会における性差別・性暴力・性犯罪の問題についてきちんと向き合っていただきたく思います。
彼のような知名度の高い方のこのような発言が許容されている状況を許してしまうことは、日本社会において性差別・性暴力・性犯罪を助長することに繋がりますので、例え岡村さんの普段の人柄が良かったとしても、私たちが許容してもう一度チャンスを、と優しく許してあげることはできないのです。
社会が岡村さんのこのような言動を許すことは、何人かの女性の心と体の犠牲を伴うからです。
そして、過去の報道を見る限り、このような言動は初めてではなく、常習的に行っていると見受けられます。本来は一番組からの降板では済まされない話です。
女性蔑視な言動を行った方が、以前のように当たり前に職場に戻れるようなケースをもうこれ以上一回も出さないことが、「女性が輝く社会」を真に実現するためには必要です。
例えこのケースが社会的に風化されようとしても、私たちが忘れることは決してありません。【山下チサト】
(わたしも見たのですが、どうやら岡村さんは以前から「男尊女卑」の考えをラジオなどで発言していたそうですね。)
わたしは正直、この騒動についてあまり詳しく知る前は、
「よくある炎上のひとつ」、としか思っていませんでした。
岡村さんがなにかしらの失言をしたのでしょうが、まずは「心からの謝罪」をして、しばらく謹慎をして、そしてほとぼりが冷めたらまた復帰し、以前と変わらない仕事をする。
そんないつもの「炎上」と、今回も変わらないのだろうと思っていました。
しかしこの騒動について知れば知るほど、それでいいのか、という気持ちもたしかにわたしの中で出てきました。
そんないつもの「炎上」のテンプレートに収めて、終わらせていいものなのかと。
あくまで今回の問題は、「岡村さんが本当に悪気なく、何気なく『女性を蔑視』した発言をし、そしてそれを受け入れてしまう社会」にあります。
もはや岡村さんの人間性云々の話ではなくなっているような気もします。
「あくまでネタだから」「ラジオは本音をいうところだし」という言葉で済ませてしまっては、きっとこの社会はこのまま、何も変わらずにいくでしょう。
わたしははじめに、社会が昔よりも『女性の尊厳』について考えてくれるようになって嬉しく思った、と書きました。
ですが勿論多くの方が書いているように、それはあくまで「昔よりもマシ」になっているだけで、いまだに「女性差別」を感じたり、「女性の権利」が踏みにじられている場面を目にすることはとても多いです。
それをどうしていこうか、ということを、多くの女性たちがこの騒動をきっかけに考えているのです。
署名運動もそのひとつなのでしょう。
「こんなラジオの発言ひとつで大袈裟に、馬鹿らしい」と思っている方々、その言葉を否定はしません。
ただ、これをきっかけに、どうか、知って欲しいのです。
よかったら、ほんの少しだけでいいので、考えてみてほしいのです。
わたしたち女性の「気持ち」を。
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