愛に恵まれた人間が、愛に恵まれなかった人間を責めることが赦されるのか。
チカゼさんの記事を読んで、心が痛んだ。
チカゼさんが幼い頃に受けた虐待の経験にたいして、チカゼさんが裕福な家庭であったことから、「金があるだけ勝ち組だろ」などという心ない言葉を浴びせられることがあるのだという。
わたしはいままで多くの毒親、機能不全家族、虐待(心理的・精神的にかかわらず)など、親にこれ以上なく苦しめられてきた方々が
それでもなんとか親から逃げ出し、自立し、自分の人生を幸せにいきようともがき、必死に頑張っている姿を、
書籍、コミックエッセイ、ブログ、SNSにかかわらず数多く見てきた。
そうした方たちが発信してくれることによって、同じく親に苦しめられてきた人間の気づきになったり、励みになったり、救いになったりしている。
しかしそこでかならずといっていいほど目にするのがーーそんな彼女らを批判する人間たちである。
彼らの言い分はだいたい同じである。つまりは「親を責めるなんて親が可哀想だ」「親のせいにするな」「親不孝もの」といったものである。
わたしの大好きな永田カビさんはとても有名な漫画家さんであるが、同じく親から受けた苦悩を漫画に描いたところ、ネットなどから大バッシングを受け、
カビさんはかなりまいってしまい、体調を崩し、一時期エッセイ漫画をやめようとまでしている。
幸いなことにエッセイはやめずにいてくれたようだが、結局カビさんは親からの自立を阻まれ、そしていまだにそうした世間からの批判に怯えているように感じる。
毒親の問題を扱う際には、こうした「何があっても親を責めることは許されない」「親不孝ものは罰せられるべき」という世間からの声との闘いは避けられないものであると感じる。
わたしはそうした問題を目にしたとき、心理学者であり『機能不全家族』の第一人者である加藤諦三さんの言葉を思い出す。
こちらの動画は加藤諦三さんの言葉がまとめられており、今から七~八年ほど前、一番親との関係に苦しんだときにこの動画を見つけ、
何度も何度も見返しては、そのたびに号泣した。
3分ほどの動画なので、人生に辛さを感じているひとは、ぜひ見てほしい。
そのなかの言葉に、こういうものがある。
「高齢者と若者とが、男と女が、文化の違う国に属しているひとが、
相互に理解しあうのは難しい。
しかしそれよりもはるかに難しいのが
心理的に成長したひとと、それができなかったひとが、
相互に理解し合うことである。
「心理的に健康なひとは、『過去を嘆いても変わらない』『今を生きよ』という。
心理的に健康なひとは今が幸せだから、過去から抜け出せる。
心理的に病んでいるひとは今が不幸だから、
どうしても過去から抜け出せない。
その違いを考えないで、過去をこだわるひとを責めるのは酷である。前に進めないひとを責めるのは酷である。
愛に恵まれたひとが、愛に恵まれないひとを裁くことが
許されるのだろうか?」
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