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渡会雲雀

好きなものを、好きなだけ書くと決めたはいいものの、まず最初は何について書くか決めきれず悩みに悩んで、さらに第一回目の投稿ができたことで、安心してしまって、気づけば長く寝かせてしまっていた。

そして、まだ2投稿目ではあるけど、これが私にとってもっとも話しはじめづらい好きなものである。
そんな現時点で最新の“推し”となった“渡会雲雀”くんについてお話していきたい。

渡会雲雀くんは
にじさんじ所属でVOLTACTIONというユニットに所属している、
今をときめくVtuberである。

怪盗一家の跡取り。
人の心を掴む正義の「快盗」に憧れている。
金銭目的の盗みはしないので、カフェのアルバイトで生計を立てている。
(にじさんじ公式HPの紹介文より引用)

渡会雲雀 | にじさんじ (nijisanji.jp)


まず雲雀くんへの好きを話す前に、好きに至るまでの経緯や、もともとの感情の動きから書き残しておきたい。

運命的で衝撃的な出会いだったとか、一目見てビビッときたとかそういったロマンチックな要素は一切なく、逆にどこまでも打算的でリアリスティックな始まりだった。

まず前提として、Vtuberには絶対にハマらないものだと思っていた。
なんなら正直、ちょっとした苦手意識もあった。

その当時は実際に配信を見たことはなかったので、
こういうもの自体が「おもしろい、おもしろくない」とかで判断していたわけではなく、そもそも単純にVtuberのコンテンツについては漠然と
“次世代のための、おもしろコンテンツ”だと認識していた。
それこそ、わたしが学生時代に友達と楽しんでいたかつてのニコニコ動画やボーカロイド達のように。

そして、自分よりも下の世代の為のコンテンツなのだから、メインのターゲット層ではない私が、そもそも「おもしろい」かどうかを判断することすらも、おこがましいとすら思っていた。

また、この「食わず嫌い」にも似た苦手意識を引き起こしていた原因として、極論ではあるが、Vtuber界隈特有の「配信において、外見(ガワ)や設定はあってないようなもの」という感性に馴染みが無かったのがかなり大きい。

もちろん、設定に忠実に沿って配信している人だっているだろうし、そもそもVtuber自体がロールプレイによる産物なのだから、皆等しく最低限の設定の上で活動されているということもわかっていたつもりだった。
実際、ハマって色んな配信を観た今となっては、たとえば「にじさんじGTA」のような大型企画のものは通常の配信とはまた一味違った別のロールプレイとして「台本の無いストーリー」が生まれることが魅力であり、これこそがVtuberであるからこその、最大の強みであることも理解できた。

ただ、Vtuberにハマる前までのわたしは、そしてわたしが愛してきたものたちは、アニメであれ、舞台であれ、どんな媒体であっても、キャラ設定というものが何よりも重要視されてきた、そんな世界に20年以上はいたのだ。

キャラの外見と性格の属性においても、ギャップがあるキャラはあれど、いつだってキービジュアルだけで、性格や属性ごとにタイプ分けをすることはできたし、さらにアニメ化や舞台化の制作決定の一報があれば声優や俳優までも予想しうることができたのだ。

なので、Vtuber界隈だとよくある(とわたしは思っている)、「クールそうな見た目だけど、頻繁に甲高い声で絶叫する」とか、「温厚そうな見た目で乱暴な口調でゲーム配信をする」といった「もはやギャップがあることがスタンダード」である世界は文化圏が違いすぎて異次元にも感じていたし、そもそも「その見た目でこの声帯!?声の解釈が違う!!」というめんどくさい嫌なオタクの側面をもつわたしは正直馴染めないなと諦めていた。

ただ、そんな少しだけうっすら敬遠していた中で、ある時、突如としてお友達がにじさんじにどハマりしていた。

ここで突然の余談ではあるが、私は友達が少ない。
コミュ障特有の「自分は思ってても相手が友達だと思ってくれてるか分からない…」とかのレベルではなく、本当に絶対数が少ない。
両手だと指があまるかもしれない。さらに絶対数が少ないうえに、元来のネガティブ思考故に、友達でいてもらえている自信もあまりない。

だからこそ「友達」の枠組みにいる人たちは貴重で、もっというと相手に自分を好きでいてほしいという気持ちが、きっとおそらく普通の人の10000倍くらいある。書き起こしてみるとメンヘラで愛が重い。
そんなわたしのお友達でいてくれる人は当然、良い人なので、にじさんじについてもこころよく勧めてくれたし、一緒に楽しもうとしてくれた。ありがたい。

ただ、ハマれる自信もなく、諦めていたコンテンツということもあって、
今考えると超失礼だが、質問に答えてくれるのをいいことに「Vtuberというコンテンツの良さについて」をまあまあの時間を使って質問攻めにしたし、これまで色んな作品の良さを共有していた友達がいつも好きになるようなタイプのキャラじゃないVTuberを好きになったと聞いた時には自分の知らない友達の側面を感じて偽物だと疑った。超失礼で大暴言だった。ごめんね。

ただ、そんな中でも根気強く勧めてくれたお友達たちのおかげで、そんなに面白いなら見てみようかなと興味がでた。
だが、その時すでにもうにじさんじは超大規模のコンテンツになっていて、何十人ものライバーの中で、何から見たらいいのか皆目見当もつかなかったし、一つずつの配信も長くて敷居が高く感じたし、そもそも自分が足を踏み入れるとは思ってもなかったコンテンツで、しかも今から自分が何かの新規コンテンツにハマれるか自信がなかった。

でも友達と同じコンテンツのものを好きになって、ハマれたらきっと楽しいと思った。
そこでわたしは「ハマれそう」なVtuberを探すにあたり、
自分で決めた「担保」を満たす条件の人を探してみることにした。

担保とは、要するに「見続けられるコンテンツ」であるかどうかの判断基準として、ある程度対象を絞り込むために幾つかの条件を作った。

・グッズがある程度出ていること
・デビューしたばかりの新人ではなく、すでに1年くらいは活動していること
・そこそこの登録者数があること

この辺りを念頭におきながら色んな切り抜きをお友達に勧められるがまま見ていたと思う。
もちろんすでに友人たちが見ている人気VTuberを推してみることも考えたが、今からオタクとしてコンテンツを学び、自分なりのキャラ解釈を生み出しても、すでに周りと周回遅れになってしまってると思ってやめた。
友達とはその場の熱いパッションでその勢いのまま話したいのだ。

当時わたしは、上記のような条件を満たすことにおいて、
ある程度の期間活動していて、一定数の登録者がいることは「コンテンツを見続けられるクオリティを維持している、大多数が見続けることのできる強みがある」ことや「コンスタントな動画投稿(=安定した供給)」であることの証明だと思ったし、推し続けるモチベーションにもなるし、定期的なグッズ販売は莫大な人数のいるにじさんじにおいても需要がそれなりにあるとい裏付けになると思った。今は間違っていると思う部分もあるが、それほどまでに臆病だった。

そして、そんな中でたまたま出会ったのが、渡会雲雀くんだった。

一番最初は何の切り抜きを見たのかはもはや思い返せないが、
ビジュアルも好みで、ゲーム配信とは別に「歌ってみた」を投稿していて、友達からも歌が上手なことを聞いていたこともあってか、ボカロ全盛期を経験した自分は入りやすいかもと思ったのがきっかけだった。

歌は文句なしに上手くて、歌枠の選曲や歌い方、声質も好みだったこともあって、
どんな人なのか興味が出て、そのまま配信を見ることにした。
複数人でコラボ配信をしていた動画を見た気がする。

第一印象は、ただ漠然と、
明るくてよく笑う人だなと思った。

当時、職場の人間関係に悩んでいた。
上司の身の回りの世話を含んだ雑用を言いつけられ、気を配って常に神経を尖らせながら働いても、気が利かないと嫌味を言われ、自分のこれまで積み上げてきたキャリアを無駄だと嗤われ、サンドバッグにされていたんだと今ならわかる。
周りよりも雑に、人よりも下の扱いを受けて、「これをもし不満に思うのであれば、それは無能の証拠だ」と逃げ道もふさがれていた。
そうしていつしか、どんどん人と話すことが怖くなり、何をするにも身体が竦んで、換気ために窓を開けることすら上司の顔色を窺った。
毎日息を殺して、「今日は何も酷いことを言われなかった」ことに安心する日々だった。
もともとコミュ障ではあるが、自分でもわかるくらい暗い人間になっていた。
毎日俯いて過ごし、寝ても覚めても毎日自分のダメなところを考えて、そのうち、上司と同じ空間にいるだけで呼吸が浅くなり、耳が詰まるという、ストレスマッハな環境下で、生きていることに何の楽しみもなかった。

生きていたくない、と毎日思っていた。

それでもさらに良い歳した大人なのにみっともない、とさらに自分を恥じて、ニュースを見ながら自死できる人が羨ましくて、死ねない自分の弱さをまた責めて、今思えば本当にギリギリだったと思う。

そんな状態だった私にとって、彼の底抜けの明るさは、きらきらと輝いているようで、まぶしくて、同時に目の前がパッとひらけて見えた。
まるで別世界を見ているようだった。

そして、単純に「ああ、見るなら明るい人がいいな」と思った。

これまで、「担保」だとか何か理由を付けていたけれど、その時はじめて、シンプルに「楽しく、毎日笑って幸せそうに生きてる、そんな人を見るのがいいな」と思った。

気づいたら、久しぶりに笑っていた。

そこからは雲雀くんばかり見ていた。
そうして、ある1本の動画をきっかけに“推し“に変わった出来事がある。

それが、「VOLTACTIONの抜き打ち学力テスト」の回だった。


当時デビューして半年を記念してVOLTACTIONが、MCの夢追翔さんとオリバーエバンスさんの進行で、抜き打ちで学力テストを行い、「バカタクション」を決めるという、昔のバラエティ番組のフォーマットを踏襲した企画だった。

動画内でも「いたずらに人を傷つけてしまう配信であること」が言及されていたし、後にオリバーさんの配信でも非常に気をつけていた配信だったと語られたが、どうしても動画の構成上「学力の低い人を笑い者にする」流れがありきで、作り物だとわかっていても、当時の自分の精神状態で楽しめるか不安だった。

結果から言うと杞憂だった。
雲雀くんはずっと明るくて元気で笑い溢れる楽しい動画だった。
ただ、それと同時に、雲雀くんは「みんなの輪やその場の雰囲気を崩さないためなら、自分が道化になることにも一切の躊躇がない人」なんだと言うことにも気づかされた動画だった。
お勉強は苦手のようだったが、自らどんどん発言して、イジられても明るく、悲壮感を感じさせずに、楽しそうに笑って場を明るくしていた。
これは彼のもともとの明るい性格の性質もあるとは思うが、彼がこれまでの人生で培ってきた、広い視野と場の空気を読む気遣いの力の賜物だと思った。

そこからさらに雲雀くんの色んな動画を見た。
ゲームで負けちゃいそうな時に真っ先に「楽しい!」と叫んで沈んだムードにさせなかったり、配信ではすすんでイジられ役にまわって場を明るくしながらも、絶対に人を傷つけるようなことはしなかったり、実はコラボで空気を読んで静かにしていることだってある。
配信でリスナーがバカにしてくるコメントをあっても冗談めかして怒ってみせて、笑って流す。いつでも全力で楽しんでいるようで、色んな気遣いや、辛いところや自分の努力は見せない。
周りを大切にして、たくさんの人に愛されて、たくさんの人に囲まれている。


知れば知るほど、なんてすごい人なんだと純粋に思った。

こんな人になりたいと思った。こうありたいと思えた。
これは恋でも愛でもない、まさしく「憧憬」である。


仕事を思い切って辞めた。
最終出勤日の帰り道、1stシングルである「sky lark」を聴きながら、
きらきらと輝いて見える夕日の中で、これからは周りも、そしてなにより自分も大切にしたいと思えた。

仕事を辞めたことは後悔してないが、これを感動的な話にするつもりも、美談だと思うこともない。
堪え性も根性もない人間が、ただ退職しただけにすぎない。
それに彼の為人は私が都合のいいように考えた勝手な妄想かもしれない。

それでも、いいのだ。

それでも、本当に命を、心を助けられた。
歌詞にになぞらえて言うなら、
彼は間違いなく、暗い地獄から、朝を告げに、明るい世界へと攫ってくれた雲雀そのものだったのだから。

ついでに何処までも行こう。

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