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好きなものを、好きなだけ


 わたしは、陰キャ全日本代表に選ばれるくらいネガティブで、さらに加えてコミュ障でわりとすぐにメンタルを病んでしまう。
そんななか、ある日突然「病んでることを自分で上手く消化出来ずに人に聞いてもらってたけど、こうして病んでることを相談される家族や友達も含めてこれって誰も幸せにならない行動なのでは…?」ということに気づいた。

もちろん、今までそういったことを思わなかったわけではなく、病んでる最中も「このままじゃダメだ」「気にしないようにしなきゃ」とか抗ってたつもりではある。
だけど、病んでる最中は「(病んでもいいことないのは)そんなことわかってんだよ~!でも自分でも気持ちが落ちていくのが止められないんだよ~~!」と自分の無能さにさらに落ちこむという負のループに苛まれ続けてしまう。
病んでると、こういったことが自分の人生を無意味に消費していることにも気づけないものなのだ。

なので、この気づきを天啓だと思って、これまでのネガティブな自分の性格を改善するためのリハビリとして、noteをはじめてみることにした。

媒体としてnoteを選んだ理由は、一番操作が簡単そうで、壁打ち感のあるイメージが強かったから。

当初はSNSで病み垢を作ることや、愚痴日記のようなブログを書いてみようかとも思った。
ただ、基本的にこれまでの私の特性として「相手の言動1つで、まだ起きていない嫌なことを思いつく限り連想してしまう」ところにメンタルがやられてしまう原因の一端があるので、ネガティブなことを書き溜めていくと、溜まったネガティブを読み返したときに負のエネルギーを浴びて、自分の吐いた毒で中毒になりかねないな、と思ってやめた。

それに、どうせ書くなら、好きなものを好きなだけ書いた方が続けられそうな気がした。続けることが大切だって誰かも言ってたし。

 そもそも、小さい頃から物語を読んだり、作ったりするのは好きだった。
うんと年の離れた姉と兄がいて、幼い私は家族の中心ではあっても、自分の考えや意見が採用される場があまりなかった。
だからか、小さい頃から空想がちで、大人たちが話してるのを横目に、自分で物語を考えたり、文字に書き起こしたりするのも好きな方だったと思うし、本の世界に没頭するのも好きだった。

ただ、年齢を重ねるにつれ、ネガティブの地層を積み重ねてきたわたしは「人様にお見せできる文章を書けるわけではないのに、文章を書くのが好きだなんて(周りに言うのは)おこがましい」とか、「自分よりももっと色んな本をたくさん読んでる人はいるんだから趣味とは言えない」とか色々理由をつけては自己肯定感をぺしゃんこにしてしまっていて、いつしか文章を書く以外のその他のいろんな興味のあることにおいても、「私なんかが…」と自分で自分の可能性の芽を摘んでしまっていた気がする。

なのでここでは、心のリハビリであるという大義名分をもとに、周りの反応などは気にせず、自分の今までの偏った尺度は捨てて、思いのまま綴っていけたらと思う。

きっとこれから書くわたしの好きなものコンテンツのファンの人からしたら、印象悪く映る記事かもしれないし、いろんな文章を読む人からしたら拙い構成かもしれないし、もっと詳しい人からは何も分かってないと思われるかもしれない。
もしかしたら不用意な一言で大炎上するかも。

それに何ヶ月かしてこの投稿を見返したときに、恥ずかしくて消したいと思っちゃうかもしれない。

でもそれでも、今その考えに至るまでのわたし自身の心のうちや、思考回路も、これから変わるかもしれない価値観も、全て恐れず言語化して、そんな自分でも好きだと発言していいのだと、自分で自分を赦してみたい。

そしていつか、このnoteが好きなものでいっぱいになったとき、
自分のことを、ちょっとでいいから好きになれてたらいいな、と思う。


まずは、意外とロマンチストなわたしの最初の投稿は、自分の誕生日に、願いを込めて公開してみよう。


好きなものを、好きなだけ

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