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【自己紹介】 ささくれが生えたような医学生。 note始めてみました。

ついに始めてみました。

noteの存在は前から知りつつ、なかなか手をつけられずにいた。

だけど、良くも悪くも新型コロナウイルスが十分なおうち時間を与えてくれ、後回しにしてきたことに取り掛かることができる日々が訪れた。

こんな時だからこそ、前向きにやれることをやろうと感じnoteに手を出す。

まずはちょっとした自分語り

僕は1996年に生まれた。

東京がベースにありながら、父親の仕事の関係で北海道や山形や千葉などに移り住み、小学生の頃からまた東京に落ち着いた。

正直、北海道や幼児期を過ごした山形の記憶は全くなく、

物心ついた時には千葉の幼稚園にいた。

千葉で過ごした幼稚園時代は何とも穏やかな日常だった思い出がある。

常に自然に囲まれ、虫取りや星をみて過ごす事が大好きだった。


幼稚園を卒業すると同時に東京に引越した。

東京に来てからも小学校1年〜4年生頃までは学校での席替えやクラス替えにワクワクしたり、初めて好きな子ができたり、放課後は毎日のように友達と遊び、小学生ならではの青春を過ごした気がする。


小学4年生の秋頃、僕は初めて学習塾に通い始めた。

ここら辺から僕の人生の記憶は色濃くなってくる。

初めて学校外の子たちと濃密な時間を過ごす機会だった。

1校目は自分にとってストレスレベルが高かったらしく、すぐやめたが

2校目の環境が自分に本当に合っていてすぐに馴染めた記憶がある。

当時の塾の友達とは、中学受験と言う殺伐とした学力主義社会を戦い抜いた仲間意識が強く、今でも仲の良い友達が多い。


そんな仲間たちと辛くとも楽しかった中学受験も終え、僕は中高一貫校の男子校に入学した。

中学では野球部に入部し、部活と友人と遊ぶ日々を過ごした。

中高一貫校だったこともあり、勉強には一切の緊張感がなかった。

中高の生活はあまりに濃すぎるのでまた今度書くことにして、高校2年生まで時を進める。


高校2年生まで僕は部活と遊びに熱中しすぎで、200人近くいた高校で常に下半分の成績だった。

高校2年生の1月に受けたセンター試験では英語で40/200点と言う驚異の数字を叩き出した。

これはまずいと思い、1年間かけて6年間サボり続けてきた勉強に集中し

何とかGMARCHへの入学券を手に取る事ができた。


、、、あれ?医学部生じゃないの?

そう、僕は文系を受験した。


小さい頃から親戚に会う度、「将来は立派な医師になるんだから、勉強頑張るんだよ」と大人からの圧力をかけられていた。

理由は覚えていないが、ある時からその環境に心底嫌悪感を抱いていた。

言ってしまえばかわいい反抗期だったのかもしれない。

生まれ育った環境に甘えずに、自分の実力を示したかったのかもしれない。

結果的に僕は反対を押し切って文系受験を迎えた。


しかし、ある大学を第一志望にしていた自分はその大学に合格できなかったことが悔しくて浪人することを決めた。

もう一度一年かけて鍛え直そうと。

今でも覚えているが、その大学を受けた当日に落ちたことを実感した僕は、その大学内のベンチで浪人することを父親に伝えた。


その後数日間、僕はずっと考えていた。

親戚からの冷たい視線。圧力。

薄々気づいていたが、その視線や圧力を1年間全て母が受け止めていた。

僕が医師にならないことで、ここまで家族に迷惑をかけてしまうのかと1年間勉強する傍で感じ続けていた。

数日間で1年間を振り返って考えてみた結果、僕は医学部受験をすると父親に伝えた。

人生で初めて自分の生まれた環境に腹を括ったのと同時に、自分が当時目指していた夢の挫折感を感じた。

ここから僕は1年間浪人して医学部へ入学した。

この1年間はあまりに濃くて、これもまた今度書くことにする。


そんなこんなで今医学部6年生。


僕は浪人を含めたこの7年、自分のなりたい医師像を探し続け、どのような形で家を継いでいくか考え続けた。

最近になってようやくイメージがつき始めた。

だからこのタイミングでnoteを始めた。


僕のnoteを通じて、医療や医学部の世界を少しでも身近に感じてくれると嬉しい。


そして、これから医学部受験を目指す高校生やそのご家族に少しでもためになるようなことも、こんな医学生が見つめる世界も発信できたらと思う。


初投稿はこんな感じで終わります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

次回以降もお楽しみに。

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