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"みんな"の前で、おもいっきり笑えない

最近、わたしは感情表現が乏しすぎる自分を寂しく感じていました。
乏しすぎるというより、むしろ感情表現はとっても豊かなのに、それを"みんな"の前でストレートに出せないのが乏しく見せているのだなと。

人生まだまだ愉しめる余地があるとするならば、まずは絶対にここだろう。
ここを乗り越えた先に、もっともっと明るい毎日が待っていそうだなぁ、そんな気がしていて、最近はもっと素直に感情表現をするにはどうしたらいいんだろう、むしろなんでみんなの前では出せないんだろう、ってよく考えてました。


思い返してみると、幼少の頃から社会が苦手でした。
社会科ではなく、保育園とか学校とかね。
家族とかほんの少しの親友だけなら、ばふっと心を全身を全感情を委ね、おもいっきり笑えるのに、そうじゃない大多数の前ではスンッと感情のシャッターが降りるのです。
つまりは心を見せないぞ、ということですね。

これは大人になってからもそうでした。
自分は裏表なくて誰に対してもオープンな性格だと思っていたのですが、飛んだ思い過ごしでした。
厳密には、考え方とか想いの部分は裏表なくてオープンだけど、心はまだ仮面がついている。
感情に蓋をしているわけではないし偽っているわけではないけれど、感じている感情のパワーの3割ほどしか表に出していない…そんな感じなのです。
だから、笑顔は引きつってるし、冷静に怒るし(これはいいのかな)、涙は出ないし、テンションぶち上がることもない。
表にはそう写ってるのです。
でも、本当はそれらの感情をそのまんまアウトプットしたい!
大声で腹の底から笑いたい、怒るのは嫌だけど、怒りの原点(悲しいとかそういうの)をしっかり出したい、涙を流しながら想いを伝えたい、テンションぶち上げてはしゃぎたい。

最近は親しい人にもそれができなくなってきているなぁと感じていました。
でも、よくよく考えると、大学生の時と娘と接する時だけは素直に感情表現できるのです。
(.旦那さんは昔はできてたのに最近ちょっと出し切れてない。悲)

大学の時はなんでだったんだろうって考えてみると、いつもサークルのメンバーといたのですが、みんなほんまにアホだった。笑
みんなぶっ飛んでて、個性が乱立しすぎてて、わたしが大笑いしたところでなんのジャッジもなかったような、そんなかんじ。
感情的になっていじられることはあるけど、2秒でわたしへの注目はなくなる。
2秒後には別の誰かが変なことしてるから。笑

娘もまだ2歳でわたしがどれだけ自由に感情表現していようと、いじってきたりジャッジしたりしない。
すべてを大好きなママとして受け止め、ママ笑ってるなぁ。ママ泣いてるなぁ。ママ怒ってるなぁ。おわり。みたいなそんな感じ。
これはわたしにとってすごくありがたい。

この二つの事象から言えることは、わたしが感情表現をストレートにすることによって、変に注目されていじられたりジャッジされることが嫌で今までみんなの前で感情を出さなかったということ。

ではなぜみんなに注目されたりジャッジされたりいじられるのが嫌なのか?

注目さらるのは嫌じゃないけど、わたしの中でどれもが感情の自由を奪われている感じがしているのです。
感情もわたしの個性で、それが人よりも波が大きかったり、振り幅も大きかったり、豊かすぎて繊細すぎて、なんか忙しいからスタンダードからはちょっと外れる。
それを自由にさせてもらえないというか、揶揄されたり注目されたりジャッジされることが、不自由さを生むのです。

そんなの気にせず自由に表現したらええやないか。という感じですが、自分らしく生きてこられなかったわたしは、この悪目立ちに立ち向かうことができませんでした。

今でこそやりたいこととかありのままの自分の考え方とかは誇りを持って胸張って掲げながら生きられてますが、この感情の部分だけはまだ怖くて出せていないのです。

感極まって泣いてしまったところに何かジャッジが入ると動揺してしまう。
動いている心をさらに動かすことになる。
ただでさえ大きく波打っている心なのに、津波のように大波がさらに押し寄せてきたら、もうどう対処したらいいのかわからない。
いつもそんな感覚なのです。

大学の時のように、みんなが自分らしくいられる世界なら…
娘と接するように、わたしはわたし、あなたはあなた、お互い尊い存在だから、そのすべてを愛し受け入れる。そんな関係性を誰とでも築けたなら…

でも、周りを変えることは簡単ではない。
だから、自分の意識を変えることが必要なのだ。

ということで、わたしが一旦出した結論は、これもやっぱり自分の個性を守りたかった故の行動だったということで、感情をストレートに自由に出すことでさらに心が揺さぶられたとしても、自己愛で包むことで必ず収まるし、むしろ大切な自分の感情を自分が一番尊重できていたら、それが津波にさらわれることなんかないのだ、という認識でチャレンジしていくしかないのだということ。


結局はセルフラブに行き着くのですねぇ。
そしてセルフラブができるから、周りにもラブ注入できるということ。

6月は感情にスポットを当てる月にしよう。
生まれた感情をちゃんと見て、表に出して伝えることで感情の居場所を作ってあげる。

少しずつ、まずは笑うということだけでもいいからはじめてみよう。
周りにたくさん人がいるのに孤独だった30年はこの1ヶ月で昇華しよう。
もう孤独な世界を生きなくてもいい。
わたしの周りは愛で溢れ、鮮やかに彩られている。
もう十分、優しく豊かな世界なのだ。

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