書くことが嫌いな作家が、
文章を書くということが楽しい、好きだぁと思ったことは人生でほとんどないと思う。
小学生のころ、一人ひとテーマで作らされていたなんとか新聞
中学生のころ、狂ったように何冊もやっていた交換ノート
高校生のころ、独自で作っていた日本史のまとめノート
大学生のころ、バイト先の帽子屋さんで作った数多くのポップ
社会に出てからもちらほら…
あれっ、意外とあるのかも。
なんて思ったけれど、基本的には苦手なのだ。
頭にふと浮かんだことを文字化することはできても、情報を組み立て取捨選択しまとめるということはとてつもなく苦手だ。
ましてや、そこに読み手の深層心理をつくような、そんな文章なんて、書けやしない。
そんな私がどういうわけか、フリーランスになった途端にライターになり、今や三年目に突入しているのだから、人生何が起こるかわからない。
しかも、その中で書籍の執筆までしている。
ジャンルは学術書、ノンフィクション小説。ライター活動一年目の時に学術書、そして三年目の今年、ノンフィクション小説を書き上げた。
それぞれ三ヶ月缶詰になり、時としてマクドナルドに入り浸り、死闘を繰り広げた。
ライターというよりかは、もう立派な作家と名乗って良いような気がする。
その期間はとてつもないパワーを使っていた。
特に学術書のときは、難しい医療用語を初心者レベルにまで落とし込むのだが、途中何度意識を失いかけたことか。
今回も今回とて、14本の短編を三ヶ月で書き上げるという鬼、正気ではない案件だった。
ただ、今回は私の中で大きな変化があった。
また、書きたい。
Laura day romanceのあの曲のように、ただ純粋にまた書きたいと思ってしまったのだ。
なんなら、納品作品が増えるにつれ、寂しさまで覚えていたのだ。
これは…なんなのだろうか。
頭によぎるそんなことを、深く考える必要はない。
作家として、生きてゆけばいいのだ。
執筆中は、それはもう地獄のような日々だったけど、地獄と天国は実は表裏一体だった。
天国を体験するには、ある程度の地獄のハリセンボンやイバラの上を歩く時間も必要なのだろう。
確かに、書くということ以外でも同じだった気がする。
受験、社会人一年目の営業…まぁそのくらいなのだけど、今回は確かにその時の感触が蘇ったような気がする。
しかも、この天国はただのヘブンではない。
自分自身への自信が漲る場所なのだ。
今この瞬間を生きている意味、この長い人生にしっかりと今を刻んだ時間になる。
地獄が地獄でない、その時間だからこそ見える世界なのだ。
やりたくもないことをイヤイヤやったり、ただ適当に毎日生きるという本当に地獄の時間だったら、到達できない境地であろう。
とはいえ、今はずっとできなかったもう一つの車輪(カードリーディング)を進めたい気持ちがむくむくと湧いているから、執筆はこのnoteを気ままに更新するくらいになるだろう。
いつでも地獄に向かう準備はできてるぜ、なんて思いながらカードとの優雅な時間を堪能し、当面の今を生きていこうと思う。