ガラスの四十代
「言わないで言わないで、衰えは間違いだよ♪ 寝ても疲れ取れなぁい。こんな日もあるよぉ~♪」
ある日、私は朝食をとる夫の横で、光GENNJIの大ヒット曲「ガラスの十代」を替え歌にして歌っていた。
実は最近、寄る年波の波がビッグウェーブすぎて困っているところなのだ。この波を多くの40代の皆さんが何とか乗りこなし、仕事や育児に日々を過ごしているかと思うと、尊敬の眼差しが光線となって大気圏を突き抜けてしまいそうである。
それに引き換え、大した日々を送っていないはずなのに、グッタリしている自分は一体何なのだろう。誰に責められているわけでもないのに、私は後ろめたさを感じずにはいられなかった。
そんな自責の念を吹き飛ばすが如く、私は朝から替え歌を歌っていたのだ。
「壊れそうな腰ばかーり、かばってしまうよぉ♪ この白髪、染めたくなぁーい、ガラスの四十代ー!」
この一年で、白髪もだいぶ増えた。でも毛染めはしたくない。面倒くさい。もう、こうなったら歌でも歌わないと、やっていられない。
そんな思いで、狂おしく歌い上げる騒々しい妻を見て、
「何だかちっとも壊れそうじゃないね。ガラスはガラスでも、それじゃ、強化ガラスだね」
と、夫が言った。
激しく歌う妻に、ガラスのような脆さを感じないのは仕方がないことだ。朝から、こんな歌をお見舞いされる夫はいい迷惑である。しかし、そうは言っても私は今まさに、寄る年波のビックウェーブを感じているのだ。夫の言うように、自分の身体が強化ガラスのように丈夫なら、どんなにいいだろう。
身体は日々、若い頃のような柔軟性を失い、固まりやすくなっている。ある意味、年をとればとるほど、身体はガラス細工に近づいているともいえるのだ。だとするならば、もはや衰えもやむなしと、
「なにげなく肩揉んで、さりげなく首を回す。そんな痛みおぼえる年じゃないかー♪」
と、更に歌ってみたところで、ガラスのようにカチカチの肩や腰はなかなか解れない。戸惑う気持ちで行ったり来たりしてしまう自分の心を抱えながら、己の肩や腰を、慰めるように叩くのである。
しかし、そんな若輩者の40代の嘆きに、多くの諸先輩方は、
「ガラスの五十代、六十代は、そんな甘いものではないぞ!」
と、思っていらっしゃるに違いない。嗚呼…本当にお疲れ様です。
しかし、どんなに衰えがこようとも、どんなに白髪が増えようとも、私が使えるのは、この身体一つである。そのことを有難く、愛おしく感じながら、これからの「ガラスの五十代」「ガラスの六十代」を生きていこうと思う。