白髪染めの呪い
寄る年波、という言葉がある。
幾重にも波が寄せる様子を、年を重ねていくことに例えている言葉だ。
確かに、波打ち際の海面を見ると、目尻に刻まれた皺のようでもある。
寄せる波、返す波。
波はきちんと返ってきてくれるのに、若さというものは、そう簡単には返ってこない。筋トレ、ダイエット、化粧、整形、ありとあらゆる手を使って、押し寄せる波を自力で返すしかない。
私は体格に恵まれ過ぎていることもあって、顔に一切のやつれがない。そのお陰か、顔全体の皺は少ないような気がする。ちょっとはやつれろ、と思わなくもないが、このご時世何があるかわからない。貯蓄だけではなく、身体にもたくわえがあったほうが、きっと安心のはずだ……と、思うようにしている。
しかし、体型で顔の皺をカバーしている私にも、抗えない敵がいる。
それは白髪だ。
不思議なものだが、子どもの頃などは、前髪に一本白髪があると、何だか大人になった気がして嬉しかった。
「やだぁ。こんなところに白髪があるー」
一応、厭そうに口にするが、内心、四葉のクローバーでも見つけたように得意になっていたりしたものだ。
白髪が生えていることが稀だった、あの頃が懐かしい。
よく、白髪は抜いたらいけないと言われるが、今となっては白髪を抜くか抜かないか論争など入る隙もないほど、私の白髪は増え続けている。
「この白髪を全部抜いたら、前髪がなくなりそうだなぁ」
と、ため息を漏らしては、
「でも染めるのもなぁ」
と、ためらう。
自分の外見に手をかけるということが苦手で、ファンデーションすら持っていない私にとって、カラーリングは高い壁でしかない。
以前、電車で隣り合わせたご婦人と、その場限りの会話をしたことがある。なんとなく年齢の話になり、聞けば、私の母と同い年だという。
「へぇー! お若い! 私の母と同い年なのに!」
心底驚くと、ご婦人はバツが悪そうに、
「……いえ、これはね、白髪を染めているからなのよ」
白状するように言った。
確かに、私の母はカラーリングを一度もしたことがない。年齢に抗うことなく、そのまま年を取っている。
ご婦人は、うなだれる。
「本当はね、もう、やめたいの。お金もかかるし、髪が伸びる度に染めるのって、すごく面倒なのよ。でもね、染めないでいると一気に老け込むでしょう? そんな自分を鏡で見るのが怖くって、つい、また染めに行っちゃうのよ。もう、これはね、呪いのようなものよ……」
呪い……。
自分の頭髪に呪いがかかるなんて、考えただけでも恐ろしい。
私はこのご婦人と話すまで、白髪染めにネガティブなイメージを持っていなかった。カラーリングして、若返った髪を揺らしながら、町を闊歩する。
「私の青春はこれからよ。まだまだ枯れてなるものですか!」
そんな気合いすら感じさせる、快活なイメージがあった。
だが、白髪を染めることは、老いを受け入れる気持ちを、先延ばしすることでもあるのだ。先延ばしした分、受け入れるのが怖くなる。
寄せる波を力業で返し続けたが、もう抗えないとなったとき、返ってくる波の大きさはどれくらいになるのだろう。考えるだけでぞっとする。
何より、私は面倒くさいことが嫌いだ。
いろいろなことを秤にかけてみても、
「私の青春はこれからよ。まだまだ枯れてなるものですか!」
とはならない。その辺の若さはカラーリングではなく、気持ちだけでどうにかなりませんか、と言いたくなってしまう。
そういえば近頃、グレイヘアという言葉をよく聞くようになった。
白髪頭をおしゃれに言い換えたものなのだろうが、言葉ひとつで白髪を受け入れやすくなるから不思議だ。
ならば私もグレイヘアを目指そうかと、ネットで画像検索してみる。すると、ロングヘアよりも、圧倒的にショートヘアの人が多い印象だった。
私はもう十年以上、ロングで通している。
一緒に暮らす夫は、見慣れぬショートヘアに戸惑うかもしれないが、これまで私の髪型に口出ししたことはないので、五分刈りにしても平気な気がする。でも万が一、
短いよりも長いほうがいい!
なんて、思っていたら困るので、夫の希望を訊いてみることにした。
「ねぇ、私も白髪が増えてきたから、短くしたほうがいいかなぁ、なんて思ってるんだけど、あなたは長いのと短いのどっちがいい?」
すると夫は、うーん、と顎に手を当てながら、
「右側は長く、左側は短くすればいいんじゃない?」
と言った。
私のグレイヘアは、アシンメトリーかつ、エキセントリックなものになりそうだ。