夏の日の1993考
そのとき、私は不満をあらわにして黙りこんでいた。
それを察知した夫は、またかという表情でチラリと私を見る。部屋のラジオからは、番組に寄せられたリクエスト曲がかかっていた。
「夏の日の1993」
文字通り1993年にヒットしたclassが歌う夏の定番ソングだ。おそらく40代以上の人ならば一度は耳にしたことがあると思う。
この曲を聞いてしまったが最後、私はどうしても一言、いや二言三言、物を申したくなってしまう。私のジリジリとしたセンサーに引っかかり、大きな反応を示してしまうのだ。サビの部分の歌詞だけ引用させて頂こうと思う。
1993
恋をした oh 君に夢中
普通の女と思っていたけど
Love
人違い oh そうじゃないよ
いきなり恋してしまったよ
夏の日の君に
歌詞を見て「あぁ!この曲!」と思い出された方もいらっしゃるだろう。
私のセンサーが警報を鳴らすのは、この一言である。
「普通の女と思っていたけど」
曲調と歌声のせいで、言葉が爽やかに耳を通り過ぎて行きそうになる。優しい人ならこの一言を「じゃあね」と見送ってあげられるのかもしれないが、残念ながら私はそういう性根の人間ではない。
爽やかに走り去ろうとする言葉の首根っこを「ちょっと待った!」と掴んでしまうのだ。言葉尻警察の取り調べの開始である。
この曲の歌詞、つまり事件発生の経緯を説明してみよう。
時は1993年夏。現場は超高層ビルと高速道路が行き交う都会のプールである。今でいうSNS映えを求める人が集合しがちなナイトプールを想像すると、現場の状況が理解しやすいと思う。
登場人物は、曲の主人公である男と、その男から普通の女と思われている女の2名。その女と当該プールを訪れたことにより、男は、普通の女が水着になるという事件に遭遇してしまう。男は事件後、その態度を一変させ、自分には合わないとまで言っていた「普通の女」を「水ぎわのAngel」へと昇格させる。豪快な手のひら返しに、手首がねじ切れプランプランしているのに気づかぬまま、男は突然の恋の到来に大興奮しているのだ。
そんな男に私は言いたい。
「アンタ随分と失礼だねぇ!」
ナイスバディーな女の水着姿を見て「ヒャッホウ!」となるのは、人類存続のためにも必要な反応だろう。字面そのままであるが、まさに性なのだから仕方がない。いけすかないが大目にみるとする。
しかしである。だからといって水着姿になる前の彼女のことを「普通の女と思っていた」と言い放つのはあまりにも失礼ではないか。恋して数秒と間もないにしても、好きな女に公然と放つセリフではないだろう。もし、私がこの彼女であれば思わず「おぉん?」と下顎を突き出すに違いない。
失礼千万である。
私はこの曲を耳にすると、毎回このような思考に陥ってしまう。その度に、この男がいかに失礼であるかを語り始めるので、夫にとってはいい迷なのだ。夫は言う。
「普通の女が失礼だとしたら、なんて歌ったらよかったの?」
夫のその問いに、そうねぇ…と考えながら、私はサビの部分を変えて歌ってみることにした。
「ナイティーナイスリー 恋をした~ oh~ 君に夢中 普通じゃないとは思っていたけど ah~ ひとちがいぃ…」
「ストップ!」
夫に止められた。単に逆の意味を歌えばいいと変えてみたのだが、普通の女と同じくらい失礼な歌詞になってしまった。
だが冷静になってみると、確かに普通じゃなかったのかもしれない。今まで私は、この男の無礼さに腹を立てていたわけだが、もしや女は、それを逆手に取ったのではあるまいか。
そもそも、何故この男は、普通と思っていた女とプールに行くことになったのだろう。歌詞の中には複数人でプールに来たという表現はない。友達同志で約束したわけではないとしたら、男をプールに誘ったのは女の可能性が高くなる。
「この男、私にちっとも興味がなさそうだけど、水着になればきっと落とせる!」
もし女がそう思って積極的に男を誘ったとするならば、状況は一変する。しかも男が鼻持ちならない、どこぞの御曹司だったと仮定すると、様々なことが浮き彫りになってくるのだ。
人を「普通の女」と言い放つ、上から目線の男の性格も、女がそんな男を積極的に誘った理由にも納得がいく。
そう思って改めて曲を聴き返すと、ドラマチックでスキャンダラスな、新たな物語の始まりを予感させるのである。
毎年夏になると耳にするので、私自身、そんなに月日が経っていないような気がするのだが、「夏の日の1993」は28年前の曲である。それほど年月の経った曲を未だに考察しているのだから、私にとって、よほど心に残る曲だったのだろう。
classの落ち着きのあるハスキーな歌声は、男の下心を包み隠すのに充分な大人の雰囲気があった。2009年にメンバーである津久井克行氏が亡くなられたため、今はその歌声を生で聴くことは出来ない。しかし、正直な男心を品よく歌い上げたclassの歌声は、1993年に聴いた瑞々しさのまま、今も私の耳に残っている。
歌詞は以下のサイトで見られます。
2009年には「夏の日の1993」のアンサーソングが発売されていました。