妻によるジャイアンリサイタル
もし、長年連れ添った妻に、何の前触れもなく、「好き」などと言われたら、夫はどう思うだろうか。
近年、愛情はできるだけ伝えよう、という傾向が強くなってきている。しかし、日本人は元々、好きだの、愛してるだの言わない民族なのだ。アイラブユーを「月が綺麗ですね」と訳すような民族なのだ。そんな日本人が、ある日突然、長年連れ添った伴侶に
「好き」
などと言ったら、どうなるか。
もしや、浮気でもしてるんじゃないか!
急にご機嫌取りして、どこかで無駄遣いでもしてきたな!
といった、いらぬ疑惑を持たれる。果てには、もしかしたらこの人、もう、そんなに長くないのかもしれない……と、いらぬ心配をかけることにもなりかねない。
「あなたが好きよ!」「オレも!」
そんなことを年中やっている日本人夫婦がいるとしたら、脳内のほぼ半分が、欧米化している可能性がある。
しかし、今、疫病の蔓延によって、海外の方との対面の交流が、ままならない状況だ。こういう時だからこそ、擬似的な異文化体験が必要なのかもしれない。ここはひとつ、脳内を欧米化して「好き」と言ってみようではないか。
だが、いきなりの「好き」は、恐らく多くの日本人夫婦にとって、心臓に悪いものであることは否めない。いきなり、という行為が許されるのは、
日本において、ステーキくらいのものだろう。
「好き」と言う行為から、予測される疑惑と心配は、なんとしても避けたい。
ならば、こうしてみるか。
私はラジオを聞いている夫の背後に回る。脇腹に両手を差し込み、
「スキスキスキスキスキスキスキ!」
と、まるで、北斗の拳の
「アタタタタタタタ」
並のスピードでスリムな脇腹をもみしだいた。妻の突然の珍妙な行動に、夫は一瞬、驚く。
しかし、夫は妻に脇腹をもまれながら、悠然とこう言い放った。
「おだまり」
ラジオ聞いてるから、静かにしてね、と、私は夫に諭される。
夫の隙きをついた「好き」であったが、あまりいい反応ではなかった。失敗である。
数時間後、私は台所から、夫が部屋でパソコンをしているのを確認。
これは新たな「好き」を放つチャンスだ。
私は颯爽と台所から、マイク代わりにお玉を持って登場。
「やっぱ好きやねん!やっぱ好きやねぇえぇん!」
私の中に住まう微々たるやしきたかじんを総動員し、歌い上げてみた。しかし、夫の視線はパソコンに向けられたままだ。悔しいので、もう一度、たかじんを動員しようと
「やっぱ」
と歌ったところで、
「静かにおし!」
と夫に諭される。
やはり、関東民の私に、たかじんのハードルは高すぎたようだ。
その後、西郷輝彦の星のフラメンコで再挑戦してみた。
「好きなん~だけどぉおお~、ペンペンペン!」
手ではなく、お尻を叩いて、注目してもらおうと試みたが、夫は、無視してストレッチをはじめる。
「こうやって、伸ばすと肩甲骨が伸びるんだよ」
などと言うので、へぇ、そうなの、と夫のストレッチを真似ているうちに、なぜか、夫婦でストレッチをすることになってしまった。
ストレッチのおかげで、体はスッキリしたものの、心はスッキリしない。
やはり、選曲がまずかったか。
たかじんと西郷輝彦では、可愛らしさが微塵もない。うまいこと夫からの反応を得るには、男性の歌ではダメなのではないか。そう思った私は、最後の手段に打って出る。
「あんまりソワソワしないで、あなたはいつでもキョロキョロ~よそ見をするのはやめてよ、私が誰よりいちばん! 好きよ、好きよ、好きよ、ウフフ……」
私の口から放たれたのは、うる星やつらのラムのラブソングである。
私はラムちゃんみたいにボンキュッボン!ではない。ボンボンボン!と、ヒツジみたいに丸い。しかも、もう若くない。もし仮に私がヒツジだったとしても、ラムではなくマトンだ。
好きよ、好きよ、と歌っている間に、徐々に我に返り始める。たかじんより動員するのが困難だった、私の中のラムちゃんは、もう息も絶え絶えである。もはやこれまでだっちゃ、とラムの命が尽きかけた次の瞬間、
「今日は随分、スキをつけてもらっちゃったなぁ」
と夫が言った。
夫は私がnoteに投稿しているのを知っている。今日一日で、私はどれだけ夫にスキをつけたことだろう。noteだったらスキ制限が発動されるのではないだろうか。
夫も、ラムのラブソングを身悶えしながら歌う中年女を、これ以上、放置しておけないと思ったのだろう。しょうがないねぇ、と言った感じで苦笑いしている。noteでも家庭内でも、反応があるのは、やはり嬉しいものだ。
しかし、ふと考える。
もしやこれは、夫に好きと言う行為、ではなく、ただの、ジャイアンリサイタルだったのではないだろうか。迷惑極まりない行為であった可能性が頭をもたげる。
やはり日本人には、「好き」よりも「月が綺麗ですね」くらいが、ちょうどいいのではないか。
そんな思いに駆られつつも、突然、夫を襲った、妻による狂おしいほどのジャイアンリサイタルは、こうして幕を閉じたのである。
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