時代おくれの女になりたい
しっくりこないなぁ、と思うことがある。
Tシャツのタグが、いつまでも擦れてムズムズするようで、なんか、落ち着かないのである。一度気になりだすと、そんな違和感に、ずっとそわそわしてしまう。
【夫さん】という言葉を初めてみた時も、シャツのタグのように、私をムズムズさせた。【夫】も【さん】も何の問題もなく普通に使われているし、
何ら違和感を抱く言葉ではないものの、これが一つになるのを見た時、途端に心がざわつくのを感じた。
日本では長きに渡り、女性の配偶者を呼ぶ際、
「素敵なご主人さまですね」「素敵な旦那さんですね」
などと言ってきた。しかしこれが、現在、急速的にタブーになりつつあるようだ。これらの言葉が、夫婦の立場が対等ではないと思わせるからだろう。
誰かの夫の話をする際、【主人】【旦那】【亭主】では、時代にそぐわなくなってきているのにもかかわらず、今まで、それに該当する他の言葉がなかった。
そこで、登場したのが【夫さん】という呼び方だ。
世間知らずの私は、だいぶ遅れて、その現実を知った。
2017年放映の、松たか子主演「カルテット」というドラマで、この【夫さん】という言葉が頻繁に登場した。私も少しだけ視聴していたが、確かに「夫さん」と言っていた。それなのに、その時不思議と違和感を感じなかったのは、登場人物たちに変わり者が多かったので、風変わりな呼び名を使っているだけなのだろうと、勝手に思い込んでいたせいであった。
この時、時代は確実に変わってきていたのだ。
それに私は全く気がついていなかった。
私個人は、他者が自分の夫のことを話すとき、旦那さん、ご主人さま、などと言われても何とも思わない。しかし人によっては、不快に思う人もいるのだ。
その現実に、私は少なからず動揺し、そんな急速な時代の変化に、正直、息苦しさを感じた。しかし、だからといって、それを感じたまま批判することは、夫婦関係の上下を無くし、よりフラットに、視界を広くして、家庭を築こうと試行錯誤する、若い人たちの邪魔をしてしまうような気がした。
今、こうして書いている言葉だって、千年も経てば、辞書がなければ読めない言葉になっているかもしれない。今はまだ、耳慣れない違和感のある言葉であったとしても、時代にあった、都合のいい便利さがあれば、違和感を越えて、人はその言葉を使い始めるのだ。
言葉は時代とともに変わる。
生きている人間が使うのだから、言葉だって生き物なのだ。
そうやって自分に言い聞かせていると、私の頭の中で、あの河島英五が名曲「時代おくれ」を歌い始めた。
自分の価値観の古臭さに迷う時、何故かいつも、私の頭の中には、河島英五の歌が流れてくる。そうやって、どうしようもなく古臭い自分を癒しているのだろう。
己の古さを許し、来たる新しきを認める。
新しい時代を試行錯誤して生きる若い人たちを、無闇に批判することなく、でも自分は、その新しい価値観に対して無理をせずに、人の心を見つめていきたいと思っている。
なりたくてなったわけではないが、私もすっかり、時代おくれの女になってしまったようだ。
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