指の隙間からこぼれる砂に
大切な人がつらそうにしている時、
どうにかして声をかけたいと思った次の瞬間、
私は言葉というものが、ただの名前であることを思い知った。
苦しみの中にいる人に対して、何か伝えようとしても、
名前のついている感情や物事だけで表現された言葉は、
相手の苦しみの上を、
ただ滑り落ちていくだけのように感じてしまう。
言葉はとても便利で、本当に不便なものだ。
焦り、不安、嫉妬など、
名前のついた感情や物事を、パズルのように組み合わせることで、
思いは言葉になっていく。
言葉が名前の連結でしかないとわかっていても、
それを使って、私は自分の気持ちを託してしてしまう。
思いを掴んで言葉にしようと思っても、名前のない感情は、
砂がこぼれ落ちるように指の隙間から流れていく。
つらい思いをしている人に掛けようとする言葉が
どこか上滑りしたものに思えてならないのは、
手の中に残る言葉では、この想いを伝えきれないからだ。
名もなくサラサラと指の隙間から逃げていくものに、
自分が伝えたい本当のものがある気がしてもどかしい。
つらい思いをしている人を想いながら、
こうして文章を書いていても結局は、
それは自分のためのものでしかないのだと思い知る。
私は大切な人を心配している自分のために、
それを言葉にしているに過ぎないのだ。
文章を綴りながら、自分の複雑な思いを解きほぐしている。
何もできない自分をなだめている。
私は、誰かのために書いていない。
誰かのために言葉を使っていない、ということがわかる。
その事実に少なからず葛藤を感じながらも、
私はそれを許すしかない。
どんなに技巧を尽くし、言葉にしても、伝えきれない想いがある。
それならば、今ある言葉は自分のために使ってしまおう。
言葉になれず、指の隙間から砂のようにこぼれ落ちたものは、
そっくりそのまま祈りに変えて、
つらい思いをしている大切な人に向けて念じ、届けたいと思う。
お読み頂き、本当に有難うございました!