スクーターブルース #短編小説
消えた鍵を探し続けて、早一時間。
オレは燃えカスのようになっていた。思い当たる場所はすべて探し尽くした。これ以上、どこを探せと言うんだ。
約束の時間まであと50分。最低でも、40分後には家を出ないと、間に合わない。
いつもオレの家には誰かしら家族がいて、普段は鍵を掛けなくても出掛けられる。父親は週の半分はリモートワーク、母親のパートも週三回、示し合わせているのか、二人の外出が重なることはない。ゲーム好きの弟は土日は家にいてゲーム三昧だし、ばあちゃんも、病院以外は家にいて庭いじりをしている。
それなのに今日は誰もいない。
しかも、鍵が全く見当たらないのである。
オレの暮らす町は、それなりにのどかな田舎町だ。少し前までは家に鍵を掛けない人も多かったのだが、一週間ほど前に近所に強盗が出て以来、皆、きっちり戸締りをするようになった。
連日、町内放送では警戒を呼び掛けられ、警官が家にやってきて、戸締り強化を訴えている。学校でも、気を付けるようにお達しがあった。そんな状況下で、鍵を掛けずに家を出るわけにはいかない。でも、オレは今日、どうしても出掛けなければならないのだ。
月曜日のこと。
オレは、クラスのマドンナである橘美咲に声を掛けられた。
「今週の土曜日、空いてる? 一緒に映画に行かない?」
天にも昇る気持ちだった。サッカー部のイケメンや、軽音楽部のボーカルを差し置いて、オレが橘美咲に誘われたのだ。やっと時代がオレに追いついた! そう思い、有頂天になった。もちろん、オレは橘美咲の誘いを快諾した。
「じゃあ、いつも乗ってるスクーターで、うちまで迎えに来て!」
その一言に、鼻の穴が大いに膨らんだ。
いつも、オレは通学でスクーターを使っている。その愛車に橘美咲が乗ってくれるということは、つまり、背後から抱きつかれる、ということだ。
オレは興奮のあまり、膨らんだ鼻の穴から、危うく血液を噴き出しそうになった。
それなのに、だ。
なぜ、鍵がないんだ。
そして、今日に限ってなぜ、誰も家にいないんだ。
オレは絶望的な気持ちになった。
一応、家族全員に連絡をしたが、誰も応答はない。家族がオレ以外に四人もいて、誰とも連絡がつかないなんてことがあるだろうか。不運すぎる。
もうこうなったら、アイツらに頼むしかない。
オレには、真、芽依、という二人の幼馴染がいる。それぞれ家族同然の付き合いで仲もいい。二人になら、留守を頼んでも問題はないはずだ。
まず、家が一番近い真に連絡をしてみる。
呼び出し音が聞こえるばかりで、応答がない。
オレは仕方なく、大至急連絡がほしい、とメッセージを送り、次は芽依に連絡をした。ここのところ、芽依の機嫌が悪くてムカついていたが、背に腹は代えられない。
「はい」
出た! 助かった!
オレは事情を説明し、留守番を頼めないか訊いてみた。芽依は、
「何で私が?」
ふてくされている。
「神様、仏様、芽依様! どうか、お願いします! オレの人生掛かってるんだ!」
大袈裟に頼んでみる。しばらくの沈黙の後、芽依はため息をついてこう言った。
「 わかったよ。できるだけ早く行くけど、今日、お母さんが自転車使ってて家に無いから、いつもより時間かかるよ」
なんてこったい。
「頼む! 走ってくれ! この埋め合わせは必ずするから!」
芽依は足が速い。あの俊足なら、絶対に間に合う。
芽依は舌打ちして「わかったよ」と言い、通話が切れた。
やっぱり芽依は頼もしい。いつも、芽依はオレのピンチを救ってくれる。
期末試験のとき、筆箱を忘れたオレに、シャープペンと、自分の消しゴムを半分に折って渡してくれたのも芽依だったし、盲腸で入院したときに、オレの分まで、授業のノートをとってくれたのも芽依だった。ガキの頃まで遡ると、数えきれないほど恩がある。
芽依はオレにとって、本当に神様仏様かもしれない。そう思って、芽依への感謝を噛みしめていると、ぶるっとスマホが震えた。
「大至急って書いてあったから、何だろうと思って、気になってさ」
真からだった。オレは一応、話の経緯を説明したあと、
「でも、もう大丈夫なんだ。今、芽依に頼んだし」
と言うと、真は深いため息をついた。
「マジで芽依に頼んだの?」
「おう」
二度目のため息が聞こえてくる。
「なんだよ。さっきから」
オレがムッとすると、真は言った。
「おまえって、ひでえことするんだな」
「あ?」
意味がわからない。
「仕方ないから、言っちゃうけどさ」
「何だよ」
「橘美咲、おまえのこと好きでも何でもねえよ」
「は?」
「この前、橘が女子たちと集まって話してるの聞いちゃったんだよ。推しのアイドルが主演する映画が土曜日に封切りになるから、どうしても映画に行きたい、でも、映画館まで電車やバスに乗り継ぐのが面倒だから、スクーター持ってるおまえを誘ったって」
それを聞いて、いろいろと合点がいった。このへんの移動は車やバイクがメインで、映画館などが集まる商業施設に行くとき、電車やバスだとかえって遠回りになる。つまりオレは、橘美咲にとって、都合のいいタクシー代わりだったわけだ。
「なんで、そのこと教えてくれねーんだよ」
オレが言うと、
「そのとき、芽依も近くにいたんだよ。で、おまえが傷つくから、黙っていようって芽依に言われたんだ。だから、黙ってたんだよ」
真は、また大きなため息をついた。
「おまえみたいなのをさ、灯台下暗し、っていうんだよ」
爺くさいことを言いやがる。
「俺も芽依も、大事な人が悲しむのを見たくないから、いろいろ我慢してるんだ。あんまり芽依を悲しませるんじゃねーよ。おまえがそんなことばっかしてると、俺が芽依をかっさらうぞ」
「はっ?!」
思わず声が裏返った。
「ちゃんと足もと見ろよ。バーカ」
通話が切れた。
一時間足らずのうちに、消えた鍵のせいで焦りまくり、いろんな情報がもたらされたせいで、オレの頭は、スクーターのエンジンみたいにオーバーヒート寸前だった。
とりあえず、オレは橘美咲に
そうメッセージを打ち込み、即座に橘美咲をブロックした。
一瞬でも、あんな女に入れあげた自分のことを、オレはつくづく、馬鹿だと思った。
今度はオレの方が「はあー」とため息をつき、鍵を探そうと、ひっかきまわした引き出しを戻していると、玄関の引き戸が開く音がした。
「ただいまー」
ばあちゃんの呑気な声がする。
「どこ行ってたんだよ。ばあちゃん」
俺が玄関に飛び出すと、
「みすゞ家のどら焼きが食べたくなったのよ。久々にバスに乗って買いに行ってたの」
ばあちゃんは、月に一度、みすゞ家のどら焼きが食べたくなるという発作に襲われる。それがたまたま今日だったらしい。オレはばあちゃんの発作が、今日、起こってくれた偶然に感謝した。
「今そこで、芽依ちゃんに会ったのよ。荷物ここまで持ってきてもらっちゃった。町に出ると、いろいろ買いたくなって困っちゃうわよねぇ」
ばあちゃんの後ろから、ひょこっと芽依が顔を出す。額に汗をかき、頬が赤い。急いで走ってきたのがわかる。
「おばあちゃんが帰ってきたから、もういいよね。私、帰るから 」
そう言う芽依を、ばあちゃんが引き留める。
「せっかく来たんだから、上がってって。どら焼き、たくさん買ったから、芽依ちゃんも一緒に食べよう」
「でも 」
「いいじゃん。上がっていけよ。オレ、お茶淹れるからさ」
芽依は驚いた顔でオレを見る。
「だって、これから出掛けるんでしょう?」
「いや、出掛けない。っていうか、あんなヤツ、オレの愛車に乗せたりしないよ」
オレが言うと、こっちが照れくさくなるくらい、芽依は嬉しそうな顔をして笑った。