体感型飲料水
子供の頃、数人で友達の家に遊びに行くと、おうちのお母さんが、冷えたコーラやサイダーなどを持ってきてくれたのを思い出す。
「ありがとうございます!」
皆でお礼を言い、ごくごくと喉を鳴らす中、なかなか飲み物に手を出さない子がいた。
「あら? どうしたの?」
お母さんが心配そうにその子の顔を覗くと、
「……ごめんなさい。私、炭酸飲めないんです」
そう言って申し訳なさそうに背中を丸めた。
「あらやだ。そうよね、苦手な人もいるわよね」
と、お母さんは彼女のために、オレンジジュースなどを用意してあげていた。
クラスの一人や二人くらいは、こんなふうに炭酸が飲めない子がいたものだ。他の子から、
「なんで苦手なの?」
と質問されると、その子は恥ずかしそうに、
「口の中がしゅわしゅわして、痒いような感じがするから……」
と言って頬を赤くした。
炭酸のあの弾けるようなしゅわしゅわ感は、苦手な人からすれば、口をくすぐるように感じてしまうのかもしれない。でも、好きな人からすれば、そんな刺激を味わうために、ついつい口にしてしまう中毒性を秘めた飲み物でもある。
男子女子数名で、駄菓子屋に行ったときのことだ。
皆であれやこれやと小さなお菓子を眺めている横で、同じクラスの男の子が他のお菓子には見向きもせず、瓶の炭酸飲料を店の冷蔵庫から取り出した。
その子は背も高く、体も大きかった。胸を張ってのしのし歩く姿は、子供らしからぬ風格があった。ランドセルを背負っていなければ、小学生だとは誰もわからなかっただろう。
皆が10円20円の小さなお菓子を手に店を後にする中、彼は栓の開いた一本の瓶片手に、悠然とやってきた。
皆がそれぞれ買ったお菓子を分け合いながら食べている。しかし彼は駄菓子には目もくれず、瓶を口に咥えて、ぐいっと煽るようにして飲み干した。
そして数秒後に「ゲプッ」と大きなゲップをしたのである。
その姿はまるで、仕事終わりにビールを飲み干す《おっさん》のようだった。《おっさん》なんて乱暴な言葉を、簡単に使うのは忍びないのだが、他に言いようがないほどに、彼の仕草は自身の年齢を越えた豪快さがあったのだ。
しかも一本では足りなかったらしく、すぐさま二本目を買いに、またのしのし店へと入って行ったのには恐れ入った。彼はよほど、炭酸に魅入られていたらしい。
炭酸を飲めない子もいれば、一気に二本飲みしてしまう子もいる。
これは牛乳でも同じことなのだろうが、炭酸の場合は、そういった味覚による好き嫌いとは、どこか違う気もする。
たぶんそれは味だけではなく、口の中で弾けるしゅわしゅわとした刺激が、《好きか嫌いか》を分けるからなのだろう。炭酸飲料は刺激を手軽に感じることのできる、いわば体感型飲料水なのだ。
間延びをした一日の中に、ふと魔が差す瞬間がある。特に長い休みの合間などに、そんな魔が差し込むものだ。そういうときは妙に刺激が欲しくなる。
うちの両親は故郷というものを持たなかったせいもあり、お盆に出かける予定のない家だった。
ならば、友達と遊びにでも行けばいいのかもしれないが、学校が始まれば毎日うんざりするほど顔を合わせるのだからと、出かけることもしない。
それは姉も同じだったらしく、お盆の最中、何をするでもなく、姉妹揃って部屋の床に転がり続けるという体たらくであった。だが、連日のごろごろは快適だが刺激がない。
そんなある日、何を思ったか、姉が冷蔵庫から缶の炭酸飲料を取り出し、バーテンダーのように激しく缶を振り始めた。
それを同じく部屋でごろごろしていた父に手渡し、
「ねぇ、これ開けて」
と頼んだ。
父は何も言わず缶を受け取り、プルトップに指をひっかける。ぐっと力を込めた次の瞬間、
ブシュォォォォーーーー!
缶が間欠泉のような音を上げた。
飲み口からは勢いよく中身が噴き出し、弾けながらあふれ出す炭酸飲料は、父の手や服をびしょびしょに濡らした。
「おおおおおおぉぉ……」
狼狽える父を眺めながら、私と姉はでげらげら笑い、母も慌ててふきんを手にしながら、
「ちょっとあんたたち、何やってるの!」
と叱りつつ、笑い出すのを必死に堪えていた。
お盆に出かけるでもなく、ぼんやり過ごしていた家族にとって、この出来事は僅かばかりの刺激になった。日頃、口うるさい母が、
「食べ物で遊んではいけません」
と、娘たちを叱らなかったのは、お盆にどこにも連れて行ってやれない、母なりの後ろめたさがあったからなのかもしれない。
大人になった今、私は毎日のように炭酸水を飲んでいる。
あの豪快な彼みたいに、煽るようにひといきで……、というわけにはいかないが、お酒を割ったり、果汁を割ったり、お風呂上がりにはそのままごくごく飲んでいる。
しゅわしゅわした刺激を楽しみながら喉を鳴らすたび、やはり炭酸水は体感型飲料水だと改めて感じる。
万が一炭酸水を飲み残したときは、顔にバシャバシャたはいてコットンなどで拭き取ると、これまたさっぱりとしていいものだ。